18年大会で、優勝を逃したスーパーマラドーナ・武智と17年大会で優勝したとろサーモン・久保田かずのぶが決勝戦後に配信した動画で、上沼に対して暴言を吐く大騒動が起こった。この時、松本は「彼らは何より勉強不足ですよね。上沼さんという人がどれだけの人か、本当にわかっていない」と吉本興業の後輩2人を叱責。上沼の肩を持った。
11月上旬には、関西テレビの『快傑えみちゃんねる』にゲスト出演。関西が生んだ2大モンスターが、NGなしのガチンコトークを展開した。
かつて関西のテレビ業界は、上沼と“西の視聴率男”やしきたかじんさんが2大巨頭だった。しかし、たかじんさんは14年に亡くなった。残された“最後の砦”は、94年と翌95年に『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を務めるほどの高実績・安定感を保持しながらも、本拠地を生まれ育った関西から変えない。これも、松本のハートを射止めている一因と言えよう。
10代にして天才の名を欲しいままにした上沼(当時は海原千里)。二十歳で、8歳上の関西テレビディレクター・上沼真平さんとゴールインして、芸能界を引退した。子育てを優先しながらも、28歳の時にNHK総合『バラエティー生活笑百科』の相談員を務めた。芸能活動はこの1本だけと決めた復帰だった。このとき、獲得に動いたのが吉本だ。
「吉本のスタッフから電話で、『会長があなたに吉本に入ってほしいと言うてます』と打ち明けられたのです。会長というのは、屈指の興行師だった故・林正之助さん。でも、ご本人は『何を寝言ゆうてんねん』とお断り。主婦業優先でNHKに行くことが関の山だったが、しつこく3回ほどかかってきたそうです。そして、『生の林を見てください』と最終手段に出られたそうです」(お笑い業界に精通しているフリーライター)
大阪・難波にある吉本本社に赴いた上沼を待ち受けていたのは、杖をついた林会長。直に口説かれたが、仕事はNHKのみ、主婦が本業を貫く姿勢に、林会長は根負けした。
お笑い大帝国が欲しがった上沼という逸材。同じく天才・松本が執心するだけのことはある。
(伊藤由華)