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極度の風呂嫌い!?日本騎兵の父・秋山好古

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 日露戦争にて、陸戦でロシアと相対し、敵の騎兵を打ち破った秋山好古。彼は日本陸軍における騎兵の強化に尽力、フランスへ騎兵の用法を学ぶために留学も果たしている。その成果は日露戦争の勝利と、後に陸軍騎兵学校を参観に訪れたフランス軍人の評価に現れている。

 「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」

 また、彼は自分の指揮する騎兵の特徴について熟知しており、陸軍大学校で学生らに騎兵の特徴を説明する際に、素手で窓ガラスをたたき割って見せている。当然、そんな事をすれば手を怪我してしまうわけだが、彼は血まみれの拳を学生らに見せると、「騎兵とはこれだ」と言ったという。騎兵は高い攻撃力を誇るが、防御力は皆無に等しい。僅かな油断が命取りになるということを身をもって示してみせたのである。

 彼が日本騎兵の父と呼ばれる所以だ。

 なお、日露戦争の日本海海戦で先任参謀を務め丁字戦法を考案、バルチック艦隊を撃滅した秋山真之は実弟である。兄は陸で、弟は海で活躍した軍人兄弟であった。

 文武両道の秋山好古であったが、同時に非常に逸話の多い人物でもあった。

 彼は極度の風呂嫌いであり、日露戦争中には2回しか入浴しなかったという。軍服も洗濯しなかったのでシラミが沸き、異様な臭気を漂わせていた。だが、これには理由があり、「軍人たるもの、戦場においてはいつ何時でも敵に対処出来る様にしなければならない」という考えによるものだったようだ。ある意味、プロ根性である。

 そんな彼だが、実は目鼻の整った濃いめの顔立ちをした美形であった。長身で色白でもあったため、陸軍大学校時代には、教官だったドイツ人のメッケル少佐からヨーロッパ人と間違えられたというエピソードがある。事実、若い頃は地元・松山どころか留学先のフランスでも女性に人気だったようだが、本人は「男子に美醜は無用」という考えを持っていたため、容姿を鼻にかけることはしなかったという。逆に、この価値観を持っていたからこそ風呂に入らなかったり、身なりを全く気にしなかったのかも知れない。

 彼は晩年、軍を退役した後は中学校の校長を務めるなどしていたが、自らの功績を語る事は無かったという。校長時代には「学生は兵士ではない」いう考えのもと、学校での軍事教練を極力減らす方向で授業を組んでいた。秋山の業績を知った生徒やその親から「日露戦争の話をして欲しい」「陸軍大将の軍服を見せて欲しい」と頼まれても、その一切を断っていたという。

(山口敏太郎)

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