1841年、シェークスピア劇の名優チャールズ・フランシス・コフランが産声を上げた。幼くして成績優秀のコフランに、両親は法律家を望んだが、コフランは故郷であるカナダのプリンスエドワード島を飛び出し、ロンドンで苦労の末、世界中で大活躍する大スターとなった。
そんなコフランが折に触れ、周囲に語っていたことがあった。自分はアメリカで公演中に一生を終え、一旦アメリカで埋葬された後、故郷のカナダに帰るのだと。それは、ジプシーの占い師に言われたことで、コフランは固く信じていた。
1899年11月27日、コフランはアメリカテキサス州の港町ガルベストンで、ハムレットの公演中に倒れ、急死してしまった。遺体は故郷には送られず、ガルベストンの共同墓地の地下納骨所に埋葬された。翌1900年9月8日、ガルベストンを大型ハリケーンが襲い、町は大被害を受けた。共同墓地も例外ではなく、激しい大波が納骨所を破壊し多くの棺を露出させ、そのいくつかを海へと流してしまった。町の人たちの懸命な復旧作業により、海へ流された棺も回収されたが唯一つ、コフランの棺だけがメキシコ湾に流され、フロリダ沿岸を漂流し大西洋に達すると、メキシコ湾流に乗って北上していった。
そして、1908年10月プリンスエドワード島で漁師が、浅瀬を浮遊する劣化の激しい棺を見つけた。棺に貼られたプレートにはコフランの名が刻まれていた。アメリカで眠りについて9年、5600km彼方の故郷に帰りついたコフランは、故郷の人たちによって、自身が洗礼を受けた教会の墓地で、今度こそ安らかな眠りについた。
七海かりん(山口敏太郎事務所)
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