1、田中幸雄
1985年のオフに日本ハムファイターズに入団した「K・K世代」のひとり。1988年から1991年、負担の大きいショートで全試合に出場し、下位に低迷していたチームをけん引した。
1992年は故障で棒に振ったものの、95年から99年まではコンスタントに100試合以上出場。そして95年には念願の打点王を獲得。「ビックバン打線」の中心として君臨した。
地道にヒットを積み重ね、2007年に通算2000本安打を達成。日本ハムの生え抜き選手としては初の快挙だった。黙々と日本ハムで22年間プレーする姿はチームメイトやファンから尊敬を集め、現在も「ミスター・ファイターズ」と呼ばれている。
◆通算成績
2238試合 打率.262(7673-2012) 287本塁打 1026打点
2、SHINJO(新庄剛志)
北海道移転元年の2004年にニューヨーク・メッツから移籍。移籍直後、巨人ファンばかりと言われた北海道で繰り広げた「新庄劇場」は話題を呼び、北海道にファイターズを浸透させた大きな要因となった。
そんなSHINJOは2006年4月に突如引退を表明。するとチームは夏場から快進撃を続け、25年ぶりのリーグ優勝を達成。さらに日本シリーズも制し、球団史上初の日本一に。SHINJOは「最高の花道」を飾った。
平成のファイターズを語る上で、SHINJOの貢献抜きには語れないだろう。
◆通算成績
NPB
1411試合 打率.254(5163-1309) 205本塁打 716打点
MLB
303試合 打率.245(876-215) 20本塁打 100打点
3、大谷翔平
投手として165キロを投げ、打者として特大ホームランを放つという離れ業を成し遂げた大谷翔平。当初は誰もが反対し「プロ野球をなめるな」「二刀流など邪道だ」という声も根強かったが、まさしく実力で黙らせてみせた。
高校時代に160キロを投げた実力はプロでもずば抜けており、3年連続二桁勝利を達成。同時に打者としても活躍し、2016年には10勝、22本塁打という誰もがなし得なかった離れ業を達成した。
さらにクライマックスシリーズ第5戦では、DHで先発出場した後、9回にクローザーとして登板。165キロのストレートを投げ込み、チームの勝利に貢献した。大谷のような選手は、今後現れないだろうというみる人が多い。
現在はロサンゼルス・エンゼルスに移籍した大谷。わずか5年間の在籍だったが、そのインパクトとポテンシャルは球団史上ナンバーワンとの呼び声が高い。
◆通算成績
NPB
85登板 42勝15敗0セーブ 防御率2.52
403試合 打率.286(1035-296) 48本塁打 166打点
2004年に東京から北海道に移転し、人気球団となった北海道日本ハムファイターズ。中でもこの3人は、平成の日本ハムを語る上で欠かせない人物と言えるだろう。
文・櫻井哲夫