中国の史書である『魏志倭人伝』の中で、西暦239年に卑弥呼が魏に使いを送った記録がある。そのときに魏の皇帝から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられた。
その銅鏡は俗に卑弥呼の鏡と呼ばれた「三角縁神獣鏡」であると言われている。直径約20センチの大型銅鏡で、その特徴としては縁が三角縁になっており、神像と霊獣が模様として描かれている。
卑弥呼の使者が持ち帰った100枚の鏡は、卑弥呼の手で全国の豪族に配られたと言う。
しかし、この鏡には多くの謎が存在するのである。
卑弥呼の使者が持ち帰った銅鏡は100枚と言われているが、日本各地から出土する三角縁神獣鏡の数は400枚にも達すると言う。また、これらの銅鏡は同時期に製作されたものではなく、何度かに渡って製造されていたと言う。更に後期になるにつれて、造りが簡略化されている。特に鏡に刻まれている魏の年号も、中には実際にはない年号が書かれている物も存在する。
三角縁神獣鏡は中国からの出土例が少なく、一部では輸出専用に製造されていたのではないかとも言われている。
この三角縁神獣鏡が卑弥呼の時代である3世紀の古墳からは出土されずに、4世紀以降の古墳から出土している。
筆者の判断だが、三角縁神獣鏡は当時大変貴重な物で、親から子へと守り伝えられたものではないだろうか。ならば、埋葬までの間隔が100年あっても問題ではないと思われる。また、100枚だった三角縁神獣鏡は後に国内で生産された可能性が高いことからも、この三角縁神獣鏡は時の権威者の象徴として祀られていた可能性が高い。
ちなみに三角縁神獣鏡が出土する地域で最も多いのは京都府の50枚以上。2位が奈良県の44枚である。鏡の出土地域だけで絞れば、邪馬台国は畿内説が有力だと思われるのだが。
(藤原真)