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小栗忠順と勝海舟の横須賀造船所論争評価に欠けた視点

 横須賀造船所は、江戸幕府勘定奉行・小栗忠順(小栗上野介)の提言で幕末に建設が開始された。これに対し、勝海舟が海軍500年説の立場から反対したエピソードは有名である。勝の主張は以下の通りである。

 軍艦は数年で建造できるとしても、海軍を運用する人材育成には時間がかかる。英国でも300年要しており、日本では500年かかる。それ故に人材育成を優先すべきと主張した。

 その後、尊皇攘夷派と気脈を通じていると見なされた勝は失脚し、小栗の提言が採用されて横須賀造船所は建設に着手した。幕府の瓦解後は明治新政府に引き継がれ、帝国海軍の重要施設となった。

 日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎は戦後、小栗の遺族に「日本海海戦の勝利は小栗が作った横須賀造船所のお蔭」と礼を述べた。小栗の先見性が認められた瞬間である。司馬遼太郎も小栗を「明治の父」と評している。

 ところが、日本は日露戦争の勝利に驕って無謀な侵略戦争に突き進み、国土を焼け野原にしてしまった。ここまで考えると、人材育成を先とした勝の言葉も納得できる。明治になって日清戦争など日本の帝国主義的政策に反対した勝の主張も合わせると一層含蓄がある。

 このように長期的視点に立てば、両者の主張はともにもっともであるが、当時の視点に立てば小栗に軍配上がる。国内に造船所がなければ、船舶は海外から購入しなければならない。実際、幕末は幕府も諸藩も海外から船舶を購入していた。しかし、船舶は購入したら終わりではない。故障すれば修理しなければならない。

 造船所とは、新たに船舶を建造するだけでなく、既存の船舶を修理する場所でもあった。消耗品である砲弾や弾丸も造る総合工場とする構想もあった。実際、小栗が訪米時に見学したワシントン海軍造船所が同じであった。造船所で既存の船舶をメンテナンスできれば、外国に依頼する費用と時間を節約できる。

 旧日本軍の大きな欠点として兵站の軽視が挙げられる。造船所を提言した小栗は、日本人に欠けがちな視点を有していた稀有な人物であった。

(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力)

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