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マット界初のNPO法人「九州プロレス」設立

 プロレスで九州ば元気にするバイ!九州の、九州人による、九州のためのプロレスを目指して設立されたのがNPO法人「九州プロレス」だ。福岡県志免町出身のプロレスラー、筑前りょう太が「プロレスで九州を元気にしたい」という思いを込めて福岡県の認証を受け、2月から活動を始めている。世界初の試みとなるNPO法人プロレスの活動はどういうものなのか、筑前さんに聞いた。

 九州プロレスのホームページでも紹介されているが、NPO法人としてのプロレス団体は世界初とのこと。NPOは一般的に「民間非営利団体」と呼ばれ、営利を目的とせず、社会貢献を目的として活動する民間団体のことをいう。
 「非営利といっても、利益をあげてはいけないという意味ではないんですよ。事業を行って適正な利益をあげることは全く問題はないんです。長く活動を続けていくには資金が必要ですからね」
 それにしてもなぜNPO法人なのか?筑前さんが2000年から07年まで所属していた千葉県を拠点に活動するプロレス団体「KAIENTAI-DOJO」に秘密がありそうだ。
 「KAIENTAI-DOJOには約30人のプロレスラーがいたんですが、みんなプロレス職人ばかり。地元の異業種の人たちとの交流を深め、パイプ役になれるようなヤツはいないか、と白羽の矢が立ったのが僕だったんですよ」
 それまでも「KAIENTAI-DOJO」として千葉県商工会議所青年部に入会し、同時にNPO法人「まちおこし千葉」にも所属して、市街地活性化運動に取り組んだ経験があった。さらに九州産業大学商学部を卒業していたため、その筋の知識もあり、抵抗感はなかったという。
 「千葉は東京の隣に位置しているのが自慢だとハナからナンバー2に甘んじている。福岡出身の僕にはその感覚が理解できなかった。もっと千葉に住んでいることに誇りを持てるようにしないといけないと思って。千葉駅前でリングを組んでプロレスやったり、60代以上のお年寄りに楽しんでもらえるようにR-60と銘打って試合を組んだ」
 「KAIENTAI-DOJO」だけでなく、新日本プロレスに「魔界倶楽部の魔界2号」というマスクマンとして出場。新日本のエース、棚橋弘至選手と名勝負を繰り広げたこともある。
 四角いリングで華々しく闘いながら、地元千葉では異業種の仲間と連帯して地域活性化のために活動する一風変わったプロレスラーだった。
 昨年11月、千葉マリンスタジアムで約5000人の観衆を集めてプロレスの試合をする幸せに恵まれた。千葉のど真ん中でプロレスができて、もう何もやり残したことはないと思った。
 「もともと『筑前りょう太』の名前を売ったら、生まれ故郷に戻りたいと考えていた。今がちょうどいい機会だろうと…」
 九州にはすでに福岡の華☆激、大分のFTO、熊本の求道軍といった地域密着型のプロレス団体が活動している。他団体と差別化し、プロレスで九州を元気にしたいという目的をはっきりさせるためにNPO法人のプロレス団体を思い付いた。
 「プロレスの地産地消ですね。今のところ所属レスラーは8人ですけど、今後は16人くらいまで増やしたい。九州以外の団体から選手を招聘することは今のところ考えてません。あくまで継続を念頭に置きたい。観客から『この前出ていた選手がどうしてきょうは出ていないのか』と言われたくありませんから」
 ゆくゆくはディズニーランドのような存在を目指している。
 「例えば九州プロレスと関わったら元気になったと言われたいし、九州以外のところから九州プロレスを観戦するために九州に来てもらい、地元で飲食し、宿泊して、お金を消費してもらえたら…それが九州プロレスの使命かもしれない」
 プロレスこそ子どもからお年寄りまで年代に関係なく楽しめる大衆娯楽である。これまでプロレスとは縁のなかった人たちにアピールできるように「屋台」「にわか」「金印」「山笠」など福岡名物をイメージしたキャラクターのレスラーを作っていくという。
 「例えば屋台をひいて登場するようなレスラーがいても面白いじゃないですか。プロレスは誰にも親しんでもらえる歌謡曲のような存在なんですから」

7月6日には「旗揚げ戦」(福岡市天神・西鉄ホール)を行ったが、地元・福岡を中心に波及効果も出始めている。4月から福岡のケーブルテレビ「J:COM」で九州プロレスの情報を中心にした「きゅーぷろ・ちゃんねる」がスタート。筑前には、町おこしをテーマにした講演依頼も寄せられているという。

【「みちのくプロレス」サスケが築いた「地域密着型」の礎】
 1993年3月に東北地方を中心に興行を展開し、日本初となる地域密着型のプロレス団体「みちのくプロレス」を旗揚げしたのは、ザ・グレート・サスケだった。現在では筑前が手掛ける「九州プロレス」など、地域密着型プロレスの礎を築いた。
 きっかけはメキシコ修行時代の経験だった。ローカルな会場でも観客が集まり、老若男女が熱狂するリングに「カルチャーショックを受けた」という。首都圏や地方でも大都市での興行が中心だった当時のプロレス界にあって「地方を活性化させたい」という郷土愛から、故郷・岩手を中心とした東北地方を活動拠点にした。
 地方の小さな田舎町などを中心とした異色の興行戦略に苦労も絶えなかった。大都市での興行とは違って大きな収入は見込めない。「いかに規制概念を壊せるか」を考えながら興行を展開した。
 リングの設営、チケット販売、宣伝・営業活動なども社長のサスケを中心に所属選手たちが行った。いまでこそインディー団体では当たり前の光景だが、当時はまだ斬新だった。「小規模会場でもやっていけるように、ローリスク、ローリターン、ローコストで」を追求しながら、地道にファンを開拓していった。
 2003年、サスケが岩手県議会に出馬した際に、トップ当選した結果は、みちプロがいかに地域に密着していたかの証明だろう。
 みちプロは今年で旗揚げから15年の節目を迎えた。現在ではみちプロを模倣するように地域密着型のプロレス団体も全国各地に数多く存在している。「15年間やってきて、私の真似をしている人もたくさんいる。やってきたことは間違いなかったということでしょう」
 「あえてローカルなヒーローを目指した」というサスケが、筑前ら“後輩”たちに確かな道程を示した。

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