ところが、後の検証により確認された行動は電話問い合わせがほとんどで、新聞などが報じた集団パニック行動の裏付けは取れなかった。つまり「宇宙戦争ラジオ放送事件」は新聞メディアの捏造で、パニックは存在しなかった可能性が高いとされたのである。
では、なぜ新聞メディアはパニックを捏造し、ラジオ放送を攻撃したのだろうか?
これまでの「宇宙戦争ラジオ放送事件」捏造説においては、広告をめぐってラジオと競合関係にあった新聞が、ラジオの信用を失墜させるためのメディア戦争を仕掛けたと推測している。しかし、たしかにそのような側面もあるにはあったが、時系列的には無理があり、いささか陰謀論的にすぎる。その上、スポンサーなしの自社番組が、事件をきっかけに「スポンサーを獲得する」に至ったのだから、陰謀としても大失敗しているのだ。
当事者のオーソン・ウェルズさえも捏造されたパニックを信じ、それが都市伝説として定着していった過程を、簡単にまとめてみよう。
1:放送当夜
放送局と警察への問い合わせが相次ぎ、番組スタッフやウェルズらが取材を受ける。
2:放送翌日
朝刊一面にパニック発生の記事が掲載され、ウェルズは謝罪会見を開く。
3:放送翌々日から11月10日にかけて
新聞各紙は社説や風刺画を通じてラジオドラマによるパニックを非難し、ラジオは人々を惑わせるような放送をすべきではないと論じた。しかし、ドイツで大規模な反ユダヤ主義暴動が発生した(水晶の夜)ことにより、短期間で終息した。特に11日からは有力各紙が暴動の被害を伝え、ナチス政権への非難に紙面をさいたため、急速に「宇宙戦争ラジオ放送事件」の扱いは小さくなっていった。
4:1938年11月から1940年
ドイツで発生した水晶の夜事件以降、新聞の注目はスペイン内戦も含めた欧州情勢へ移り、特にクリスマス以降は半ば忘れ去られていた。だが、プリンストン大学のキャントリル教授が著書『火星からの侵入』で集団パニックが発生したと論じたことから、再び「宇宙戦争ラジオ放送事件」は注目を集め、都市伝説として定着する直接的なきっかけとなったのである。
こうして「宇宙戦争ラジオ放送事件」を時系列順に振り返ると、陰謀が仕組まれたと言うよりは、たまたま発生した出来事に乗じた新聞記者や論説委員、コラムニスト達がやりたい放題に番組をもてあそび、大学教授という権威がとどめをさした様子が浮かび上がってくる。
ドラマの演出に不安を感じた聴取者から放送局と警察への問い合わせが相次いだことに「事件の予感」を覚えた新聞記者たちは、発生しているはずの街頭の騒動ではなく、番組スタッフやオーソン・ウェルズを取材して「火のないところに煙を立て」て特ダネを捏造した。
日頃からラジオという新しいメディアを面白くなく思っていた新聞の論説委員やコラムニスト、風刺漫画家達は、これ幸いと社説やコラム、漫画を通じてオーソン・ウェルズをスケープゴートにしつつラジオを攻撃した。しかし、批判が空振りしたのか、あるいは世界情勢の変化がそれを許さなかったのか、いずれにしてもラジオ攻撃は大きな効果を発揮しなかった。
最終的に「宇宙戦争ラジオ放送事件」を都市伝説として定着させたのは、大学教授が書いた本であった。
次回は都市伝説として定着した後の「宇宙戦争ラジオ放送事件」がもたらした悲劇と、事件に触発された娯楽作品などを簡単に解説する。
(続く)