『家政婦のミタ』は第9話から最終章に入り、三田の再生の物語と位置付けられる。しかし、『家政婦のミタ』の人気の要因は感情を表さずに非常識な依頼をこなす三田の不気味さにある。三田が普通になってしまったら、ドラマの面白味が減少する。最終回の前半は三田が母親として子ども達に厳しく接するという従前と異なる展開で不気味さを発揮した。しかも、そこには三田の配慮が隠されていたことが明らかになる。
三田は無理そうな依頼にも「できます」「あります」と答えて実行する有能な家政婦である。時間に正確な点は労働者として古き良き価値を体現している。三田の決まり文句「承知しました」も、顧客に「了解しました」と答える言葉の乱れが氾濫する中で三田の有能さを際立たせる。
一方で三田が自分にできないことは「無理です」とキッパリと断る点も見逃せない。三田は危険な依頼には応じないことを阿須田結(忽那汐里)と約束しており、再生した三田の「無理です」は拡大する。古い体質の企業社会では頑張ってチャレンジすることを評価し、無理と即答した人を「挑戦してもいないのに無理と言うな」と非難するガンバリズムに囚われている。『家政婦のミタ』はガンバリズムを否定する有能な人間像を打ち出した。
『家政婦のミタ』とは対照的にガンバリズムを美談化しようとしたドラマがTBS系日曜劇場『南極大陸』であった。南極観測を皆が一致団結して困難を乗り越える熱い男達のドラマとして描こうとしている。しかし、史実の南極観測は南極観測船「宗谷」が南極の氷に阻まれ、外国船に救援を求め、樺太犬を置き去りにしての撤収を余儀なくされた。チャレンジ精神のみで美談とすることには無理がある。
12月18日放送の最終話「終幕〜時を超えて…52年前の真実と新たな奇跡が起こす結末!!」では樺太犬の物語で終わった。南極観測に敗戦に打ちひしがれた日本に希望を与えるという新たな意味を与えようとしながらも、最終的には映画『南極物語』と同じテーマに収まった。
『南極大陸』の低迷は仕事人間に魅力が感じられなくなった日本社会の成熟を反映しているが、12月16日に最終話「最終回! 私が救いたいのはあなた!」を放送したTBS系金曜ドラマ『専業主婦探偵〜私はシャドウ』では仕事人間に一つの価値を提示する。浅葱芹菜(深田恭子)が探偵の陣内春樹(桐谷健太)と夫の浅葱武文(藤木直人)のどちらを選ぶかが注目された。
前回の第8話は元の鞘に収まることが予感させるラストになり、最終話はラブストーリーとしては消化試合の様相を呈した。しかし、最終話の陣内は「いい人」で終わらず、武文との対照性を際立たせた。
「私と仕事、どちらが大事」は恋愛における究極の選択である。基本的に恋愛ドラマでは仕事よりも恋人を選ぶ方に価値がある。ところが、武文は仕事派であった。これが視聴者から武文が酷評され、芹菜と陣内のカップル成立が期待された一因である。武文が再評価される契機は辞表の提出であり、それによって武文の芹菜への本気度が示された。
ところが最終回でも私生活と仕事の選択を迫られる。企業買収騒動が収まるまで夫婦で身を隠すことを助言する陣内に対し、「一緒に働く仲間を見捨てることはできない」と危険に飛び込む武文。自分が武文の立場ならば企業の危機でも自分と妻の安全を重視すると即答する陣内は私生活重視派である。
伝統的な恋愛物の枠組みでは武文は仕事人間となり、古臭いタイプに映ってしまう。それでも武文の動機をリストラから従業員を守ることとすることで、ガンバリズムの仕事人間とは異なる人間性を付与することに成功した。滅私奉公型の企業への忠誠が時代遅れになった現代では、働く仲間との連帯感に一つの価値がある。
(林田力)