ところが、イギリスでの公開からやや遅れて原稿や音源が紹介された日本では、その受け止められ方が全く異なっていた。まず、朗読したピーター・ドナルドソンに関する情報が抜け落ちたため、イギリスでは長年に渡っておなじみのラジオアナウンサーであった彼の声に託された意味、つまり「日頃から馴染んでいる声がラジオから流れることで、少しでもパニックを抑えよう」という部分は伝わらなかった。
さらに、公表された放送原稿や朗読音源と原発事故を重ね、それに基づく陰謀説まがいのチン解釈まで飛び出したのである。
陰謀説といっても放送原稿に隠されたメッセージの謎を解くとか、その手のひねりを加えたものではなく、核戦争や原発事故への漠然とした恐怖をあらわす素朴なものだった。だが、日本にも同様の予定原稿が存在している、政府と日本放送協会はそれを隠しているという主張には、それなりの説得力が含まれていた。
ただ、冷戦期には日本も核攻撃される可能性が極めて高かったとは言え、かつて統合幕僚会議が極秘に米ソの核兵器使用も含めた図上研究を行い、それが露見した際、当時の社会党から厳しく追求され、政治問題化した過去がある(三矢研究)。また、英国放送協会は核攻撃に対して放送設備を備えたシェルターを用意し、かつ要員も選抜するなど周到な準備を重ねており、単に放送原稿を作成して終わりというものではなかった。こういった状況を考慮すると、左派的な気風の日本放送協会において、それほどしっかりした体制が構築され、かつ長期間秘密を保つことの可能性については、いささか悲観的にならざるをえない。
しかし、冷戦期の核攻撃ではなく、原発事故へ備えた予定原稿となれば、いささか事情が変わってくる。核攻撃とは異なり、日本全土が機能不全に陥る可能性は低く、通常の設備を使った放送が可能となるためだ。
大規模放射能汚染などの原子力災害に備えた予定原稿が、政府や日本放送協会のどこかで来るべき日を待っているかも知れない。
(了)