佐倉城主は徳川家の譜代大名が代々城主を勤めて来た。佐倉城は江戸の東を守る要衝の地と見られていたのである。その後、明治時代になり廃城令によって建物は撤去され、その後は帝国陸軍の佐倉連隊駐屯地として軍施設が建ち、佐倉城は歴史から忘れられた存在になっていた。
戦後、佐倉城の跡地には佐倉城址公園や1983年3月には国立歴史民俗博物館が建立され、現在では佐倉市民の憩いの場となっている。
さて、佐倉城跡地には二つの心霊スポットが存在すると言われている。
その一つが姥が池伝説と言われるものである。江戸時代に乳母が家老の娘を誤って池で溺死させてしまい、自ら池に身を投げたと言われている。その後、その池は姥が池と呼ばれ、夜な夜な身を投げた姥のすすり泣く声が聞こえると言われてきた。
更にもう一つが、俗に十三階段と呼ばれるコンクリート製の階段である。噂ではこの場所に刑場があって、この十三階段はここで絞首刑が執行された場所であったと言う噂がある。
今回は梅雨の曇り空の中、佐倉城跡地へと訪問をした。佐倉城の跡地にある佐倉城址公園には多くの木々が溢れ、さながら森林浴を楽しむ観光客が整備された歩道に戯れていた。表上はとても心霊スポットと呼ばれる場所ではなかった。
姥が池の脇には、佐倉市の歴史愛好家達がのぼり旗を立てて観光していた様子が新鮮だった。その池のすぐ脇には、例の十三階段がひっそりと佇んでいた。
現在の佐倉城跡地は本丸跡を含む、そのほとんどが佐倉城址公園へと生まれ変わり、心霊スポットというイメージは微塵も感じさせない。
佐倉城へ訪問した際には、国立歴史民俗博物館と佐倉城址公園を訪問して、歴史を学び森林浴を満喫しては如何だろうか。
(藤原真)