こんな”とんでも話”を信じる者は、今や誰もいないだろうが、戦前の日本人を驚愕させた『竹内文書』では、このようなマジカルな神話が喜々として語られている。
この『竹内文書』を突如公開したのが、怪人・竹内巨麿である。文書の内容は神代文字で記されており、解読が難しいはずなのだが、巨麿はあっさり読み解けたという。このあたりいかにも怪しい。この文書は、武烈天皇の勅命を受け、武内宿禰の孫である平群真鳥が記した写本群と、鉄剣などの宝物から成り立っている。
竹内巨麿は武内宿禰の子孫と称し、富山にあった皇祖皇太神宮から大量の宝物と文書を運び出し、茨城県北茨城市磯原に移転した。日本が世界の中心であったと説く彼の仮説は、当時の軍人や南朝支持者から好意的に迎えられ、竹内巨麿は一躍時代の寵児となった。
しかし、巨麿が武内宿禰の系譜であるという証拠はなく、虚言の可能性が指摘されている。よくよく調べてみると、この男は富山県の樵の家に生まれており、地元の旧家・竹内家の養子となっており、血縁は途絶えているようだ。
だが、数々の不思議な逸話のある人物であった。「竹内巨麿伝」によると、空中に神代文字を書くほどの霊能者であったという。当然の流れだが、戦後この竹内巨麿を取り調べたGHQは「誇大妄想の人物である」と断定している。
もちろん、常識的に考えて『竹内文書』が「偽書」「偽史」であるのは明白だが、戦前の神道的な思想を探る上で、『竹内文書』は、貴重であったと言えよう。「偽書」「偽史」には、庶民の深層心理が含有されているのは言うまでもない。
残念ながら『竹内文書』は、東京大空襲の業火に焼かれ、焼失してしまった。現在、『竹内文書』についての資料は、竹内巨麿や研究家たちによって写されたメモや写真に頼るしかない。
希代の山師・竹内巨麿は、政治的に世界で孤立し、経済・軍事両面で欧米に太刀打ちできない、戦前の日本人のジレンマが生み出した幻想だったのかもしれない。だが、妄想や虚偽ではなく、本当に世界に誇れる日本を創るためには、現実を冷静に見据える強い心が必要なのだ。
(山口敏太郎)