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ナチス製UFOの信憑性

 1945年、ドイツの敗北間際に、ドイツ上空に達した爆撃機の乗務員などから奇怪な目撃情報が伝わる様になった。丸い光の玉が何処からか現れては連合国の航空機に近づき、何処までも後を追って来ると言う。彼らはその丸い光の玉をフーファイターと名づけて恐怖した。

 ナチス製のUFOに関する話題としては、1980年に発表された落合信彦氏の著書『20世紀最後の真実』が初めだったように思う。氏はドイツが1945年に、既にUFOを開発していたということを述べていた。更に、実は生存していたヒトラーとラスト・バタリオンと呼ばれる最強兵士らが、UFOと共に南極大陸にある秘密基地に移り、再び覇権を取るべく準備を行っているという内容だった。
 その後、1993年に矢追純一氏が日本テレビ系列で放映された『矢追純一UFOスペシャル・ナチスがUFOを作っていた』の番組において、ナチスのUFOの写真と、更にUFOの下部に付く戦車の砲塔の写真を紹介した。この番組内では、元親衛隊将校のオットー・スコルツェニーがUFOに乗っている姿を、1964年にアメリカで目撃されたとか、更にナチスは巨大UFOを製造し、火星まで人類を乗せて調査に行ったという。その中には日本人研究者も同乗していたという内容だった。その後、番組は同タイトルで文庫化された。

 UFOの下部に搭載された戦車の砲塔の写真を見て、何も知らない私は興奮したものだった。まずは写真で記載されている、ハウニヴー2に搭載されていた戦車の砲塔に関してだが、この砲塔は文庫に記載されているパンター戦車のものではなく、旧式なIV号戦車の砲塔である。特に長砲身なことから、H型の砲塔と推察される。しかも逆さに搭載されていては、それこそ満足に操作することすら困難だと思われる。射撃時の反動や砲塔内に充満する硝煙については一切説明されていない。
 そして、圧倒的に欠如しているのがUFOの精密な設計図と、その写真類である。特にイラスト書きされた設計図の類は、単なる創造の類であって、何の資料製もないものである。また、写真に関してはあれだけ記録好きなドイツ軍が、ユダヤ人の強制収容所の膨大な写真を残し、UFOが秘密兵器だからと1枚も写真を残さない方がおかしいのではないだろうか。幾ら親衛隊が全ての証拠を隠蔽したとしても、他の新兵器と同じく必ず資料は出てくるものである。後に出てきた資料も、具体的なものではなく写真も全て合成された偽物である。

 戦後、ドイツのロケットやジェット戦闘機等の先端技術の科学研究者が、大量にソ連とアメリカへ連れて行かれたが、自分の高待遇保障の為に、事実より誇大な研究報告をした科学者も多かったそうだ。
 現段階でナチスのUFOは、誰かが作り出した空想の産物というのが、正に相応しい気がしてならない。
(藤原真)

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