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橋北中学校水難事件は2段階の謎を秘めていた

 夏といえば心霊怪奇現象にまつわるエピソードがさまざまなメディアをにぎわせるが、昭和末期の1970年から80年代にかけ、定番となっていたのが橋北中学校水難事件である。この事件は、昭和30年7月28日に三重県津市中河原海岸で橋北中学校生徒約600名が水泳講習に参加していたところ、女生徒数十名が突発的な潮流に流され36名が死亡した水難事故で、現代に至るまで学校授業における水難事故としては日本最悪の記録だ。原因は現在に至るも不明で、学校プールなどの整備に対し、大きな影響を及ぼしたとされる。

 この痛ましい事故が心霊怪奇本や番組の定番となったのは、事故から8年後の1963年7月に雑誌「女性自身」が掲載した生存者の証言がきっかけとされる。以降は習雑誌や児童向け怪奇物語集の定番となり、どうやら戦争関連の本にも収録されたようだ。そして1985年には、児童文学家の松谷みよ子氏が「現代民話考」に「女性自身」へ掲載された証言とほぼ同様の物語を収録、現代の民間伝承として定着するに至った。

 証言および伝承の概略は、以下の通りである。

 岸辺近くで泳いでいた目撃者と友人が、やや沖合で泳いでいた級友を海へ引き込む黒い影を目撃、自らも影に足をつかまれた。黒い影はぐっしょり濡れた防空頭巾をかぶったモンペ姿の女性たちで、真っ白い無表情な顔をはっきりと覚えている。

 このように、証言は日本に古くから伝わる船幽霊などの水難伝承を思わせる内容で、戦災の記憶とも相まって人々に強い印象を残した事、さらに夏の事故ということで風物詩的にも怪奇物語として取り上げやすいなど、広く伝わりやすい条件をそろえていた。そのためか、現代でもネットなどで紹介されることが多い。ところが、この証言には事故当時の状況と異なる点があり、証言者は確かに事故の当事者だったにせよ、事故後の年月で記憶が上書きされたとみなされるようになった。

 事故発生当時、生徒たちは「泳げる深さの沖合まで、歩いて移動中」だったのだ。

 こうして、証言は怪奇物語としての現実味と、説得力を減じたかに思われた。だが、新たな事実の掘り起こしによって証言が生まれた背景が明らかとなり、民間伝承としても新たな意味を持つようになっていったのである。(続く)

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