友人代表で弔辞に立った浅丘は、美しい笑みを浮かべる大原さんの写真に向かって「麗子、ドラマでの共演をきっかけに33年間、私だけでなく私の家族全員の友達でした」と静かに思い出を語り出したが、近年のことに話が及ぶと「ここ数年は言い合いやケンカをして距離を置いた時期もあった。夜中に自分や他人への不平不満を言う一方的な電話。出たくないと思ったものです。あなたは素晴らしい仲間の好意を拒否していた」と怒りとも悲しみともつかない思いを吐露した。
続けて、昨年暮れに大原さんが骨折した折に食事を用意して訪ねたときのことを思い返し、「思っている以上に深い悲しみ、苦しみを持っているのだと思った」と故人の苦しみを推し量った。最後は「どんなでも姉として受け止めるべきだった。ごめんね麗子。私の妹。心安らかに」と絞り出すように別れを告げた。
お別れの会終了後、森も報道陣の質問に対し、大原さんから浅丘と同様に電話がかかってきていたことを明かした。友人たちから語られた大原さんの近年の様子からは、女優としての仕事が出来ない苦悩と、それをぶつけることが出来ない孤独な心がうかがえた。NHK大河ドラマの「春日局」主演など華やかな女優人生と、難病のギランバレー症候群に苦しんだその後の人生とはあまりに対称的だった。それでも、この日の会では多くの列席者がこの美しい人の早すぎる死を悲しんだ。「少し愛して。長く愛して」サントリーウイスキーのCMの名文句通り、たくさんの愛とともに見送られた。
渡瀬恒彦、森進一の両氏は集まった報道陣に言葉を残すことなく、足早に会場を後にしたが、浅丘は「2人から電話があって、来てくれると思わなかったし、優しさがうれしかった」と話した。
森進一はこの日の午後FAXで「彼女と過ごした歳月にはもちろんたくさんの思い出がありますが、私にとりまして、時には姉のようでもあり、また、妹のような存在でもありました。共に支え合って過ごした日々への思いを込めて、人生を純粋に生きた彼女に、心の中で『お疲れ様、ありがとう』と声を掛けました」とコメントを発表した。