07年1月に移籍したザルツブルクでは不完全燃焼に終わった。07〜08シーズンまで指揮したトラパットーニ監督(現アイルランド代表監督)には信頼された。だが、昨年1月の左太もも裏負傷が痛かった。アドリアンセ監督に代わった今季も出遅れ、リーグ戦出場機会は皆無。本人は欧州残留を希望していたが、「いい状態でプレーできるうちに日本に戻って、自分の経験を伝えたい」と考え直し、帰国を決めた。
3シーズンの海外経験で一番強く感じたことは何か。昨秋、宮本を訪ねた時には「リーダー像の違い」を真っ先に挙げた。
「欧州のキャプテンなら、周りの反発を買っても『俺について来い』と強引なカリスマ性を発揮する。ザルツブルクの同僚だったクロアチア代表前主将のニコ・コバチなんかは、いざとなるとすごいことを平気でやる。欧州に来て、自分の考えていたリーダー像では足りなかったと強く感じた」
この反省は06年ドイツW杯惨敗に起因する。当時のチームには中田英寿、中村俊輔(セルティック)というジーコに特別扱いされた選手に加え、小野伸二(ボーフム)を中心とする黄金世代がいた。だが、肝心の監督は何ひとつ指示をしない。チームをまとめる仕事はすべて宮本1人に託された。
「ドイツでの日本代表は同じ方向に向いていなかった。豪州戦で俊輔が先制した時もベンチと一緒に抱き合った記憶もない。そういう選手たちに、僕は『みんなで頑張ろうぜ』と日本的なやり方に終始してしまった」と今も悔やむのだ。それゆえに、これまでの優等生タイプを脱して、強いカリスマ性を持つリーダーへの変ぼうを決意したという。今年32歳になる宮本の日本での再起に注目したい。