1984年(昭和59年)10月4日18時ごろ、某高級ホテルの廊下で宿泊客から「女性客同士が大喧嘩している」との通報があり、駆け付けたホテルマンが現場に着くと、廊下には血まみれの女性が倒れており、その近くには包丁を持った女性が立っていた。従業員は包丁を持っている女性を捕まえようとしたところ、左腕を刺されてしまったが、なんとか取り押さえて警察へ引き渡した。一方、刺された女性は背中や腹など約十か所に深い傷を負っており、手の施しようがなく、ほぼ即死状態だったという。
いったい何故、ホテルの廊下で女性同士の陰惨な殺人事件は発生したのか――。
捕まった女性は、住所不定無職のAという38歳の女性で、この日の14時ごろからホテルにチェックインしていた。彼女が住所不定無職なのは、れっきとした理由があった。なんとこのA、前日まで都内で起こした放火と覚せい剤事件によって栃木刑務所に服役していた元受刑者だったのだ。彼女は刑期満了で出所しており、行くところがなくこのホテルに泊まっていたという。
さらに、刺された女性とAは以前から面識があった訳ではなく、殺害の理由は「人を殺せば、気持ちがスッキリすると思ったから」という、とても信じられないものだった。
Aは栃木刑務所を出た後、家には帰らずホテルへ行き、日米野球の中継を観戦していた。しかし、出所後も、彼女の世間に対するムシャクシャした気持ちは晴れることなく、「この手で人を殺してみたい」と思った。そこで、Aは近くのデパートで刃渡り約十六センチの文化包丁を購入。包丁を片手に、部屋のドアを半開きにして、人が廊下を通るのをじっくり待ち構えていたのだという。
彼女は覚せい剤使用の前科はあるが、この日は覚せい剤を使った痕跡はなく、動機は前述の通り、「人を殺してスッキリしたい」という至極身勝手なもので、決して許される犯行ではないものの、言動や行動に覚せい剤使用による後遺症などの影響も見られたことから、東京地裁は「残虐冷酷な犯行である」としつつも一部減刑となり、懲役9年の実刑を言い渡した。
殺人事件が発生したこのホテルは現在も営業中だが、既に35年が経過しているため、事件の事を覚えている関係者はほぼいなくなっているという。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)