その浜田の快投は既報通りだが、阪神側の準備不足も影響していたはず。右の川上で準備し、対応策を練って試合に臨もうとしたら、4月下旬に一軍初登板の左腕投手が出てきたのである。『情報不足』に泣かされたと言っていいだろう。
阪神関係者がこう証言する。
「試合前のミーティングで浜田の特徴は伝えられました。浜田に関するデータを全く持っていなかったわけではありません」
同日時点で、阪神は35試合を消化。改めて調べ直してみたが、今季、阪神打線が初対戦した“ニューフェイス”は浜田が4人目で、広島・大瀬良、DeNA・モスコーソ、ヤクルト・ナーブソンにも苦しめられていた。チームが勝利できたのは『対ナーブソン』だけだった。
見方を変え、予告される投手の心理について考えてみたい。素人判断だが、ヤクルト時代の野村監督のように“奇襲”を掛け、自身の登板を分からなくしてくれた方が有利な立場で投げられるのではないだろうか。
元セ・リーグ投手のプロ野球解説者は「たいして変わらないよ」と失笑したうえで、予告先発が導入される前について、こんな話をしてくれた。
「どのチームにも先発ローテーションがあり、相手チームの先発投手をかなりの確実で的中させていたし、相手もこちらの先発が誰なのか分かっていました」
だが、こんな苦労もあったそうだ。雨天中止の試合だ。その場合、翌日の試合には本来投げる順番の先発投手がいるが、中止日の先発投手をスライドさせる作戦もある。それを相手チームに分からなくさせるため、一方の投手がオトリを務めるのだ。スタメン表が交換されるギリギリまで、オトリ役の投手は“投げる気じゅうぶん”という演技をしなければならなかったそうだ。
「どの球団にも目利きのスコアラーがいて、たとえ雨天中止で先発候補が2人になっても、それを完全に読みきっていました。こちらも読まれているのを分かっていて、オトリを務めるんです。今思えば、意味のない苦労をさせられたと思います(笑)」(同)
元パ・リーグ投手のプロ野球解説者にも同様の質問をしてみた。
「予告先発が導入されるまでの交流戦はひと苦労でしたね」
プロ野球界にはビジターチームの選手にも練習施設、器具を提供しなければならないというルールがある。したがって、「どの投手がウエイトトレーニング部屋に入った、あの投手がブルペンに行った」等で、先発投手が分かる。したがって、予告先発制ではない当時の交流戦期間中、パ・リーグの投手はセ・リーグの球場施設で練習ができず、民間経営のスポーツジムを予約するなどして調整していたそうだ。
「セ・リーグの球場周辺には土地勘がないから、ジムを探し、予約を入れるのに苦労させられました(笑)」
こうした経験談を聞くと、予告先発には自軍の投手を守る意味合いもあるようだ。
「本当に優秀なスコアラーであれば、新人投手の情報を集め、対応策もできています。スコアラーが本領を発揮するのは、川上の代役で浜田が投げたときだったと思いますよ。ひと昔前、データ解析に定評のあるチームは二軍にもスコアラーを派遣していました。今は予算不足でたくさんのスコアラーを雇う余裕もないみたいですが…」
年長のプロ野球解説者が苦言を呈していた。たしかに、野村氏の下では優秀なスコアラーが育ち、落合政権時の中日には大量なスコアラーが在籍していた。予告先発が定着し、「優秀なスコアラーが育たなくなった」という見方もできなくはない。いずれにせよ、予告された先発投手にハプニングが起きると、大慌てをさせられるのは対戦チームの方である。(了/スポーツライター・飯山満)