1590年(天正18)6月23日、八王子城は豊臣秀吉の小田原攻めの際、関東攻略の重要拠点として壮絶な攻撃を受けた。城主・北条氏照と家臣のほとんどは小田原の合戦に出向き、城内は残った家臣と婦女子、領民など1000人ほどで、ほとんどが非戦闘員だった。
1万5000の軍勢にはとても太刀打ちできず、城はわずか一日で陥ちた。本来、籠城戦は敵味方双方の人命を優先する戦法が主流だった。しかし、八王子城攻めは小田原への見せしめの意味もあり、秀吉軍は全滅目的で徹底的に攻撃した。多くの婦女子は首を刎ねられ、小田原でさらし首にされたのだ。
また、家族の前に首を晒されるくらいならと、自ら命を絶ったものも多く、その身を投げた御主殿の滝は、他の戦死者の血と混ざって朱に染まり、水の流れは三日三晩赤くなったという。
以来、八王子城跡は怪異の起こる場所として人々に知られいくことになった。
八王子城は1951年の国の史跡に指定され、発掘調査や整備も進んだ。御主殿跡付近の石塚、虎口、曳橋などが復元された。しかし現代でも、不気味な話が後を絶たない。
現在、御主殿の滝こそが、八王子城跡が心霊スポットとされる中心地だ。女や武士の姿、生首の目撃があとを絶たず、甲冑の音やすすり泣く声も聞こえることがあるという。
また、曲輪の1カ所だった場所に、ある大学のキャンパスができたが、学生や警備員が霊を見たという話がたびたびあるそうだ。若干距離はあるが、同じ八王子市内の道了堂という場所では、老婆のすすり泣く声が聞こえたり、女子大生の霊が現れるといわれている。すすり泣く老婆の霊は、昭和30年代に殺害された道了堂を管理していた老婆だといわれる。女子大生の霊は、昭和40年代、不倫関係のもつれから大学助教授に殺害され道了堂跡付近に埋められた学生といわれている。
八王子城跡周辺では首吊り自殺や焼身自殺が絶えないというウワサがあるが、過去をさかのぼると、近辺に2度も殺人事件の舞台になった場所があったのだ。
また、「近隣の住民は旧暦の落城の日(現在の8月10日ごろ)は城跡に近づかない」といった地元住民に関するウワサも広まっている。「近隣の住民には、今でも落城の日は川が血に染まったことに由来し、赤飯を炊いて死者を供養する習慣が続いている」と書いているサイトもある。まったく、史跡よりも心霊スポットとして有名になってしまっている有様だ。都内ということもあり、肝試しで夜に訪れる者も多いようだが、八王子城跡周辺は決して不気味な心霊スポットだけの場所ではない。緑が多く、ハイキングや散策で訪れるにはちょうどいいところだ。
自然の中でリフレッシュし、死者を祀る碑や史跡には心の中で冥福を祈り、歴史の流れに思いを馳せる。これが歴史に関わる心霊スポットの正しい訪ね方かもしれない。
文・梅季颯
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