何しろ、地方自治体同士に“競争”をさせ、地方交付税に「差」を設けようとしているわけだから、やり方が半端ない。
石破茂地方創生担当相は、国内の全自治体に「地方版総合戦略」の提出を求め、地域間競争を促す方針を表明している。まるで、企業の各事業本部に「ビジネスモデル」の提出を求めるがごときである。
また、石破大臣は1月26日時点でブルームバーグ(アメリカの大手総合情報サービス会社)のインタビューに答え、地方自治体について、
「競争しろというのか、その通り。そうすると格差がつくではないか、当たり前だ」
と、地方自治体が「勝ち組」と「負け組」に分かれていくことを是認する発言をしている。安倍政権の「地方創生」は、日本の各地域を「共に発展」させ、国家全体の安全保障を強化するという発想ではないのだ。
勝ち組には手厚い支援を実施し、負け組は切り捨てる。日本の各地域を、勝者と敗者に「区分していく」政策なのである。
具体的には、自治体側が提出した戦略の内容や効果で地方交付税や交付金の配分に差がつけられるわけだ。
これは想像というよりは“確信”だが、例えばPFI(民間資金を活用した社会資本整備)を推進する計画が多ければ多いほど、中央政府の覚えめでたいという話になり、地方交付税が手厚くなっていくだろう。
すなわち、公共インフラという住民の生活や経済活動の「基盤」を民間資本に開放し、彼らのビジネスを増やせば増やすほど、中央政府が「誉めてくれる」という話だ。逆に、公共サービスを「公」で維持しようとすると、地方交付税を削減されることになると予想する。
実際、経済財政諮問会議の「民間議員」と称する民間人たちが、5月19日、人口20万人以上の自治体で上下水道や空港などを整備・運営する場合、PFIの導入を原則とするべきと提案をしている。
これまでのパターンに従えば、民間議員と称する民間人の提案が「総理指示」に化け、国会に降りることになるわけだ。
要するに、これまでは自治体や政府が“独占”していたインフラビジネスに、民間資本を「より多く新規参入させろ」という話なのだが、そもそもインフラ事業の多くは儲からない。というより、インフラ事業で儲けられると国民が迷惑するからこそ、政府や自治体がやるのである。
地方自治体同士に“競争”させ、「格差」を作るという発想自体が異常だ。加えて「民間の資本を導入すれば善」という、市場原理主義的な価値観に基づき、日本の各地域は勝ち組と負け組に分かれていくだろう。
日本国民の99.9%は、“競争”という言葉を誤った認識に基づいて使っているように思える。
「市場競争は素晴らしい」
という言葉を聞いたとき、多くの国民は、
「その通り。市場で地域や企業や個人が競ってこそ、発展がある」
と、思うのではないか。では、それは本当に“競争”なのか。
日本には「切磋琢磨」という言葉があるが、これは欧米由来の“競争”という言葉とは、ニュアンスが違う。切磋琢磨とは、
「友人同士が互いに励まし合い、競い合い、共に向上すること」
という意味を持つ。つまりは競争相手が“仲間”であり、相手を潰してまでも自分が勝つ、あるいは「勝ち負けをはっきりつける」といった意味は含有していないのだ。多くの日本国民は、“競争”という言葉を「切磋琢磨」という意味で用いてはいないか?
あるいは、経済学に基づく「市場競争」「自由競争」は、果たして切磋琢磨なのだろうか。それとも勝ち負けを明確にする“競争”なのか。間違いなく、後者だ。
同じ土俵(市場)で、同じルールで“競争”し、勝ち負けをはっきりつける。負けた者は、自己責任。
「同じルールで、同じ土俵で“競争”したのだ。負けた者は、自己責任である。本人の努力が足りなかったのだから、仕方がない」
といったレトリック(効果的な表現)こそが、“競争”を善とする経済学の本質なのだ。
そうは言っても、戦争や大規模自然災害などの非常事態の際には、人間は他の人間の助けを借りなければ、生き延びることができない。「勝ち組」であるにもかかわらず、大震災で被災者となった「人間」を助けるのは、負け組となった「人間」かも知れないのである。
結局、非常事態発生時に、助け合わなければ生き延びられない以上、人間は「助け合いの共同体」を構築しなければならないのだ。すなわち、国家である。
人間は「国民」にならなければ、安定的に、豊かに生きていくことはできない。特に、世界屈指の自然災害大国である「日本国」では、国家を織りなす各地域がそれなりに発展してくれなければ、いざというときに「助け合う」ことは不可能なのだ。
共同体が異なるのであれば、国家国民同士が「市場競争」を繰り広げるという発想はわからないでもない。
もちろん、ユーロのことを指すわけだが、「共通通貨ユーロ」という統一市場で国同士、企業同士、国民同士が競争し、ユーロ圏が綺麗に勝ち組(ドイツなど)と負け組(ギリシャなど)に分かれていったのは、ご存知の通り。生産性が大きく異なるドイツとギリシャが「同じルール」で競争すれば、ギリシャ側に勝ち目はないのだ。
本当に地方創生政策において地方自治体同士に競争を強いるなら、せめて「インフラストラクチャー(ダムや道路、港湾などの産業基盤)」の面で公正な競争条件を整備するべきだ。
インフラが整っていない地域が、インフラが充実した地域に勝てるはずはない。インフラの充実度とは、まさに「生産性」そのものである。
それにしても、地方創生大臣自ら「同じ国」の地域について「格差がつくではないか、当たり前だ」と言ってのけるわけだから、凄い時代だ。もはや、国家も何もあったものではない。
我が国の地方経済再生策は、“競争”ではなく「切磋琢磨」であるべきと考えるわけだが、読者はどのように思われただろうか。
三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。