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徐福伝説と浪ノ上稲荷社

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画像はイメージです。

 徐福という人物に関する文献は司馬遷の「史記」・巻118「淮南衝山列伝」にある。秦時代(紀元前3世紀頃)、始皇帝の命を受けて、3000人の若い男女・百工を従え、東方の三神山に不老不死の霊薬を求めて船出した。そして、平原広沢を得て王となったという記述がある。徐福が目指した蓬莱の国があった場所は各種異論があり、台湾・韓国、・日本・アメリカなど各伝説が残っている。日本においても徐福到来の地は紀伊半島熊野・富士北麓吉田など各地にある。

 徐福が目指した場所は「トヨアシハラミズホの国」であり、「ホウライ」とある。愛知県の東三河は「豊国・ホの国」と古代では呼ばれていた。また「ホウライ(鳳来町)」という地名もある。現に愛知県新城市にある鳳来寺山(標高:684.2m)は古代の数千mあった巨大な火山で『不二山』と呼ばれていた。

 三河地方と熊野地方との交流は海路が主であった。中世の頃まで鎌倉街道が豊川(とよがわ)を渡った船着場の愛知県豊橋市牛川町字西郷にある浪ノ上稲荷社の下にあったといわれている。熊野に到来した徐福一団もしくはその末裔が不二山を目指して三河の地に訪れていた。

 浪ノ上稲荷社がある牛川町内には熊野神社が2社(牛川熊野社、浪ノ上熊野社)あり、浪ノ上稲荷社の境内には20基もの立石がある。この立石に刻まれた文字には今まで見聞きしたことのない大神・地神の名が刻まれている。立石に刻まれた大神の文字は、この地に定着した徐福一団もしくは末裔の渡来人達の功績を讃え、神として崇めたものではないかと、古代史研究家・前田豊氏は推測している。また浪ノ上稲荷社の近くの石巻町にある牛川1号という発生期の古墳から中国将官用環頭の両刃剣(後漢時代・2世紀頃)が出土している。

(写真:「浪ノ上稲荷社の立石」愛知県豊橋市牛川町字西郷100-1)

(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

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