このスーパー・スプレッダーの事例で有名な人物に、「腸チフスのメアリー」という女性がいる。20世紀初頭、ニューヨークで腸チフスが小規模かつ散発的に流行するという事が相次いでいた。そんな中、ある富豪の家族が体調不良を訴え、家族や使用人らが腸チフスに感染している事が判明。その原因を調査してみたところ、ある女性の料理人が住み込みで働いて、後に腸チフスが発生していることが判明した。この人物こそが、後に「腸チフスのメアリー」と呼ばれる事になるメアリー・マローンだったのである。
彼女は料理がうまく、人柄も良かった上に全くの健康体であったため、本人は勿論、周囲も彼女が感染力のある腸チフスと関係があるとは全く思っていなかった。検査のための便の提供を求められたメアリーは激しく拒否し、逃げようとしたそうだが、彼女の便からはチフス菌が検出されたため、彼女が感染源だった事が判明したのである。彼女が毒性のあるチフス菌を長く保有したのにもかかわらず症状が出なかったのは、途中で免疫を獲得したことによる不顕性感染が起きたためと言われている。なお、彼女はその後、「食品を扱う職業への就業禁止」等を条件に自由の身となるが、偽名で産婦人科病院に調理人として就職。ここでも腸チフス感染者を出し、病院に隔離されることとなった。
現在流行している新型コロナウイルス感染症で、スーパー・スプレッダーが存在している・存在していた可能性は考えられるが、その特定は容易ではない(海外ではスーパー・スプレッダーと認定された患者の事例が報告されている)。とは言え、過剰に他者を警戒し、感染者と思しき人物を否定するに至ってはならない。また、既に新型コロナウイルス感染症で陽性反応が出た人や、治療に携わる医療関係者が必要以上に忌避されるなど、不当な差別が出てきているという報告もある。できる限りの感染症対策を行い、自分が周囲に拡散してしまう可能性についても考慮して、冷静に行動することが必要だと言えよう。
(山口敏太郎)