デビューは24歳。そのときから74cmの太ももは注目されていたが、競輪学校でももちろんナンバーワン、平成6年の千葉ルーキーチャンピオンも獲っている。面白いことに初めて特別参加した平成7年の前橋寛仁親王牌は初日失格したが平成19年には優勝した。
とにかく先行の小嶋はデビューしてからGI、GIIの優勝には恵まれなかったが、それは「中部ラインを引いて優勝させる」という競走哲学があったからだ。もしも小嶋が自分の成績だけ考えてGIの優勝だけをを目標にしていたら、まくりに回って、もっと早くチャンスをものにしていただろう。ふるダビ松坂でGIIを獲ったのはデビューしてから8年目だった。
GI初制覇は翌平成15年の高松宮杯。初日まくって勝った小嶋は6月の台風下、準優が一日延期という悪条件にもかかわらず、山口富生(岐阜)をつれて市田佳寿浩(福井)をホームからカマして山口には差されたものの2着。決勝ではバック8番手から快調に逃げる村上義弘(京都)をまくってゴールで1/4輪交わして優勝した。
同年の競輪グランプリでは伏見俊昭(福島)に主導権をとられたが、山田裕仁(岐阜)の2段まくりを呼び込む仕掛けを見せている。
2度目のGI制覇は平成17年の寛仁親王牌。どちらかというと33バンクは得意ではないと見られていたが、この年の寛仁親王牌は青森で行われ小嶋はジャンから前にいき山口富生の差しを抑えて逃げ切った。
平成19年の小嶋は手がつけられないくらいに強かった。まず宇都宮の東西王座戦で3連勝。西決勝では村上義弘との先行争いに勝ち、マークの浜口高彰(岐阜)は離れて小野俊之(大分)が懸命に食い下がって2着。高松宮記念杯では佐藤友和(岩手)―山崎芳仁(福島)の2段駆けをバックまくって圧勝。続く前橋の寛仁親王牌も永井清史(岐阜)の先行を番手まくりで快勝した。
だが、特別3連覇が期待された高知オールスターは落車骨折で欠場してしまった。
今年はまだまだ小嶋らしさを見せていないが、高松GIIIの豪快なまくり優勝から勝運も戻ってきた。一宮オールスターが楽しみである。