「このころになると君枝アナの仕事は、アナウンス部の電話番がメインでした。または急なナレーションでアナウンス部に人がいない時にかり出されるぐらいでした。出産後は産休を取り、日テレの関係者とも数カ月に1回程度、業務連絡があるぐらいでほとんど接点はなかったそうです」(日テレ関係者)
ところが出産後の君枝アナの健康状態は、日を追うごとに悪化。原因不明の痛みが全身を襲うという症状に悩まされていた。
「当初、君枝アナや家族は体調を見守っていたようですが、すぐに病院で診察したら『線維筋痛症』という原因不明の病気にかかっていたことが分かったのです。この病気は全身に激しい痛みが生じる病気です。症状には個人差がありますが、体のしびれのほか、不眠や下痢などの身体的症状、焦燥感や不安感などの精神症状、リウマチ症状などを訴えるケースもあるといいます」(女性誌芸能記者)
君枝アナの場合は、症状も重く受話器を持つ手に痛みが走るなど、日常生活にも支障をきたしていた。続けて話す。
「しかし、君枝アナは友人にもあまり病気のことは告げず、ひとりで悩みを抱えていたようです。近所の人の話では、コンビニで目撃した際にも顔色は真っ青で体調が悪そうな様子だったといいます。そして、2007年の2月2日に自宅の机に走り書きのような遺書を残し、衝動的に自宅マンションの8階から飛び降りたのです」
たまたま通りかかった通行人はすぐに110番に通報。しかし、警察官が駆けつけた時にはすでに亡くなっていたそうだ。
「大杉君枝アナは、幸せな家族生活を追い求めていましたが、離婚や病気などで最後まで願いはかなうことがなかったのです。だから、将来を悲観しての自殺と見られています」(社会部記者)
果たして“元祖アイドルアナ”が追い求めた幸せな家庭像の先には、一体何があったのか。本人が亡くなった今、その答えを聞くことはできない。