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生田が嵐や関ジャニに嫉妬したとき

 今年2016年は、ジャニーズタレントにとって記念すべき1年だ。96年に入所したタレントが軒並み、芸能活動20周年を迎えているのだ。それはまさに、錚々たるメンバーといっていい。嵐の松本潤と二宮和也と相葉雅紀、関ジャニ∞の渋谷すばると横山裕と村上信五、俳優の生田斗真に、2足のワラジをはく山下智久。今の芸能界で欠くことができない、主役級タレントばかりである。

 生田は、唯一歌手デビューをはたしていないが、ジャニーズJr.のころは当然、歌って踊ってという既定路線に乗っていた。同世代と組んださまざまなユニットは人気を博し、つねに「次期歌手デビュー候補」に挙がっていた。

 そもそも、スーパーエリート。入所と同時にNHKの“天才てれびくん”シリーズのメインキャラクター・てれび戦士に大抜てきされ、その後およそ2年にわたってレギュラー出演している。翌97年には、朝の連続テレビ小説『あぐり』、フジテレビ系バラエティ番組『中居正広のボクらはみんな生きている』に出演。仲間のJr.たちをごぼう抜きした中学生時代、その未来を嘱望された。

 歌&活動も並行しており、松本、二宮、相葉や退所した元Jr.たちと、B.B.B.(Best Beat Boys)、J-Boys(Johnny's Boys)、Jr.Boysのメンバーに抜てきされた。その後、嵐の前身といえるMAINが誕生。グループ名はそれぞれの頭文字で、Mの松本、Aの相葉、Iの生田、Nの二宮。KAT-TUN、Kis-My-Ft2と同じ“頭文字路線”は、このころから主流のひとつだった。翌98年には、山下とB.I.G. Eastを結成。のちにB.I.G.となって、元KAT-TUNの田中聖(現INKTのボーカル)、A.B.C-Z・五関晃一らも在籍していた。

 スター街道をひた走っていた99年、運命の嵐結成を目の当たりにする。すでに大野智、櫻井翔(当時は桜井)、松本、二宮は決定していたが、最後の1枠は難航。ジャニー喜多川社長が直接自宅に電話をして、(1)スケジュールがあいていた(2)パスポートを持っていたという理由で、相葉に決まった。出世を確約されつづけた“エース生田”が味わった、初めての挫折。与えられたポジションは、同期である嵐のバックダンサーだった。弱冠15歳。何度も退所が頭をよぎった。

 しかし、高校生になったときに劇団☆新感線と出会って舞台の素晴らしさを体感。そのいっぽうで、演出家・蜷川幸雄(故人)さんにその才能を見いだされ、演じることの奥深さを知った。そして、嵐や関ジャニ∞への嫉妬が完全に消えた。

 今夏には、劇団☆新感線とおよそ10年ぶりにタッグを組む主演舞台『Vamp Bamboo Burn』が控え、来年には主演映画『彼らが本気で編むときは、』でトランスジェンダーに悩む元男性を熱演。

 悔しさをバネに跳躍することを覚えた元アイドル、現役者。だから生田は、一流なのだ。

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