「入団してから暫く、僕がサインを出しても、誰も頷いてくれませんでした」
高校卒捕手のサインに首を振る理由は明白だった。一軍昇格の限られたチャンスを伺う20代半ばの投手は『生活』『人生』を懸けている。10代のまだプロの厳しさも知らない坊やの勉強に付き合っていられないからだ。
この証言を聞かされた後、1位指名ではないが、他球団の高校卒捕手にも同じ質問をしてみた。その捕手も「自分が試合(二軍戦)でサインを出すのを許されるまで3年掛かった」という。大学卒、社会人を経由してプロ入りした捕手は全部ではないが、1年目からサインを出すことを容認されるそうだ。悪しき慣例だろうが、前中日監督の谷繁元信氏は例外中の例外だとも話していた。
「好捕手が新人投手を育てることもあれば、ベテラン投手が若い捕手を一人前にすることもあります。後者の場合、ベテラン投手に『コイツは何か秘めている』とか、『何とかしてやろう』と思わせる人間性がないとダメ」(プロ野球解説者)
「何とかしてやろう」と思わせることのできる人間性−−。新人の坂本誠志郎(22)は7月19日以降、ベテラン・能見篤史(37)が投げる試合でマスクをかぶってきた。
坂本はコントロールと配球術に長けた能見の長所を生かすことはできなかった。プロ初スタメンでもあった7月19日は3回途中6失点、9月10日の対ヤクルト戦では山田哲人に2本塁打を献上している。
能見クラスになれば、スタメン捕手を指名しても問題はないはず。しかし、首脳陣が決めた坂本とのバッテリー拒んだことは一度もないという。
「矢野燿大作戦兼バッテリーコーチの要請です」(球界関係者)
そういわれてみれば、能見は若手時代、ベテラン捕手・矢野に鍛えられた経緯もある。矢野コーチの「坂本を育ててくれ」という、能見へのメッセージなのかもしれない。
「能見クラスのベテランになると、若手捕手の出したサインが間違っていても、『勉強しろ』の意味で、あえて要求通りに投げることがあるんです。もっとも、勝負どころでは首を振るし、コーチの誰かが変わってサインを投手に送る場面もある」(プロ野球解説者)
正捕手になってほしい選手との期待値で話をすれば、虎ファンは育成枠に落ち、再び這い上がってきた原口文仁(24)に好意的だ。また、現時点の評価では、坂本は「打てる捕手」ではない。大学日本代表で主将を任される経歴からして、キャプテンシーを持った選手であることは間違いないが、「打撃」でアピールできない捕手であれば、「守備」と「配球」で勝負しなければならない。坂本は守備と配球で勝負できる捕手になれると見込まれたのだろう。また、能見に「なんとかしてやろう」と思わせるだけの人柄も兼ね備えているのだろう。
「原口が育成枠に落ちた経緯を振り返ると、彼は腰に爆弾を抱えています。将来的に野手として打撃に専念させて育てる方法も考えられるし、シーズンを通してマスクを被るのは体力的に厳しいのではないか。『捕手・坂本、一塁・原口』というオーダーで臨んだ試合もあったように、阪神は原口と坂本を一緒に育てながら、いろいろなシフトを試していくつもりでしょう」(前出・プロ野球解説者)
虎の正捕手問題は決着しない。若手の梅野、苦労人の岡崎も捨てがたい。一人の捕手がシーズンを通してマスクを被り続けることが理想とされている。金本監督がその理想を追い続けるとしたら、チームが完成するまでかなりの時間が掛かりそうだ。(スポーツライター・飯山満)