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チェッカーズは給料制だった! 高杢、藤井フミヤと和解して“再結成したい”?

 30日に放送された「じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜」(テレビ東京系)に元チェッカーズの高杢禎彦が登場。バンド再結成について語る場面があった。

 1982年にデビューして以降、不動の人気を誇っていたチェッカーズ。ボーカル・藤井フミヤのテクノカットにふぞろいの前髪というヘアスタイルは当時の若者に大流行した。リリースした曲も大ヒットを連発し、92年に解散するまでのCD・DVDの総売り上げは1500万枚以上という驚くべき記録を誇った。

 番組内で当時のギャラ事情を問われた高杢は、「給料は基本給。休んでいても月いくらかっていうのは(全員)一緒です」「あとはみんな個人的に入ってきます。作詞・作曲は個人」「自分の場合は司会をやらせてもらったり、芝居をやらせてもらったりしていた」と赤裸々に告白。当時の長者番付(2005年まで日本政府が公式に高額納税者を発表しており、報道機関が職業別にランキングを作成していた)には、メンバーの多くが名を連ねており、高杢も約1100万円を納税した年があったという。

 人気絶頂の中で1992年に惜しまれつつも解散したチェッカーズ。その後、高杢は40歳で胃がんを患い、医者から「決して初期ではありません」と宣告された。過酷な手術を乗り越え、克服した高杢。現在は、日本全国で講演活動を行っているそうだ。

 ファンとして気になるのはバンドの再結成だ。これに高杢は「やろうと思えばやれると思うんですけど…」と再結成の可能性は否定しなかったが、「1人亡くなっていますから…。それが一番キツい」と、2004年に他界したドラムスの徳永善也(愛称は「クロベエ」)の不在が再結成を難くしている要因とした。

 とはいえ、チェッカーズは解散する前からメンバー間の不仲が噂されていた。番組の中でも触れられていたが、バンド活動中は個人に印税が入る“作詞・作曲”をめぐって亀裂が生じている。高杢はバンド内でサイドボーカルを担当しており、楽器も弾けないため作曲ができない。バンドメンバーで作詞・作曲をするオリジナル志向へとシフトしてから88年発売のアルバム「スクリュー」の中の1曲を作詞したが、その後は解散まで採用されることはなかった。それから高杢は半ば強引にソロ活動をスタートさせ、バンド内の“格差”を埋めようとしたが心は離れていったのだろう。その数年後、バンドは解散に至っている。

 チェッカーズ解散後は、ドラムスの徳永(クロベエ)が亡くなったことで改めて確執があらわとなった。フミヤが「クロベエを送る会」の発起人から高杢と鶴久政治を外し、メンバーは完全にフミヤ派と高杢派に分かれてしまう。高杢派の2人が連日ワイドショーに出演し、フミヤに抗議するという騒動に発展したことで世間にも不仲が明るみとなってしまったのだ。

 高杢は、徳永が亡くなる前年の2003年6月に『チェッカーズ』(新潮社)という自伝エッセイを出版。チェッカーズの金銭問題や当時のいざこざを暴露した。また、体の大きかった高杢は幼少期からガキ大将、フミヤは大人しい子供で幼なじみだったというエピソードを明かしており、むしろ大人になって立場が逆転してしまった高杢自身のコンプレックスを露呈してしまった本とも言える。いずれにしろ、こうした高杢の行為がチェッカーズ再結成を遠ざけてしまっているように感じてならない。

 ファンとしては一度でもメンバーが集まる姿を見たいところだろう。しかし、番組で高杢が語った“再結成したい”は本心なのだろうか…今後を見守るほかないようだ。

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