鶴久によると、チェッカーズは全員平等な給料制で、一時期はメンバー全員が芸能界の“長者番付”に名を連ねるほどの稼ぎっぷりだったとか。鶴久は作曲を担当していたため、莫大な印税収入がプラス。具体的な金額こそ明かさなかったが、最高月収は数千万円だったという。
印税はカラオケ、ほかのアーティストがカバーした場合、テレビやラジオで鼻歌として歌われただけでも発生し、50年間入る仕組み。そのため、鶴久によると、「毎年、高級車が買い替えられるほど」の印税が入ってくるという。それでも、鶴久は再ブレークを切望していることを訴えたのだが…。
「チェッカーズ時代、最もソロ活動に力を入れていたのは鶴久だったが、インパクトが薄くまったくソロとしてブレークしなかった。そうなって鬱積した思いがあの騒動で爆発してしまったようだ」(音楽関係者)
その騒動とは、03年に発売された元メンバーの高杢禎彦の著書「チェッカーズ」(新潮社)をめぐるメンバー間の確執騒動。高杢は同書でチェッカーズの中心メンバーだった藤井フミヤを痛烈に批判し、「いつの間にか、まるでフミヤが“銭ゲバ”のようなイメージが浸透してしまった」(同)。
そして、その確執が表面化したのが、、2004年8月に元メンバーの徳永善也さんが死去し、その後に都内で行われたお別れ会。フミヤと尚之の藤井兄弟とほかの元メンバー2人が発起人になったにもかかわらず、徳永さんと交流が途絶えていた高杢と鶴久は参列しか許可されず、2人がワイドショーなどで痛烈にフミヤを批判したのだ。
「あれから10年以上経ったが、元メンバー6人はいまだに4対2に別れ和解に至っていない。フミヤがコンサートで再結成をにおわせるような発言をしたこともあったが、まだまだ難しいだろう」(同)
天国の徳永さんのためにも、一夜限りでもチェッカーズ再結成を果たしてほしいものだ。