集団消失譚は恐怖、怪奇譚の定番であり、中でも訓練を受けた軍隊が消失した逸話は、その意外性と相まってよりいっそうの衝撃をもたらすためか、娯楽作品などでもしばしば取り上げられる。たとえば、アニメ映画「ドラえもん・のび太の日本誕生」でも「1937年12月に3000人の中国兵があとかたなく姿を消した」とのエピソードが紹介され、それは時空乱流なる現象によるものと解説されるのだが、それには元となる事件があった。
日中が宣戦布告なき総力戦を繰り広げていた1939年12月、日本軍への攻勢を発動すべく南京の近くに集結中だった3000の中国軍将兵が、指揮官のリー大佐もろともこつ然と姿を消したというものだ。このエピソードは、フランク・エドワーズというラジオパーソナリティが世界各地の不可解な事件や出来事を集めて紹介していた「世にも不思議な物語」という番組で紹介され、後に番組の内容が出版された際に広まったとされる。ただ、フランク・エドワーズは新聞記事などを番組で紹介するという体裁をとっていたため、さらに元となる記事が存在しているはずだが、それは伝わっていない。
ともあれ、日本軍がからむエピソードということもあって、特に日本では広く紹介されることが多く、アニメ映画で取り上げられたのもその流れであろう。ただアニメ映画では1937年となっており、これは翻案か誤記か判然としないものの、同じ事件を示していると考えて良いだろう。実際、事件を紹介する日本語記事には1939年と37年が混在しており、なかには12月ではなく10月の出来事としているものもある。
このように発生時期のブレがあるエピソードは要注意だし、またフランク・エドワーズの「世にも不思議な物語」は信ぴょう性が薄いエピソードも多い。ところが、中国兵が集団失踪したとされる1939年12月10日は、国民革命軍(中国国民党が中心となり、中国各地の軍閥部隊も含めて結成した統一軍で、当時は共産党軍も合流していた)による対日反攻作戦(冬季攻勢)の直前で、多くの部隊が前線の攻勢拠点へ集結しつつあった時期と一致するのだ。
そればかりか、問題の南京付近は国民革命軍の抗日戦争第三戦区として、戦区司令長官の顧祝同が編成した「長江方面攻撃軍」の攻撃正面となっていたのだ。そのため、中国軍が日本軍を攻撃するために集結していたのは事実であり、さらに部隊集結時には少なからぬ混乱もあったようなのだ。
とはいえ、国民革命軍の攻勢はほぼ全戦線にわたって行われた大規模な作戦で、南京に近い揚子江流域だけでも数十万の将兵が参加している。それだけの大作戦からリー大佐なる人物を探しだすのはなかなか困難で、また国民革命軍の記録が散逸していたり、整理されていないこともあって、裏付け調査は進んでいない。ただ、冬季攻勢中の抗日戦争第三戦区において、部隊の一部が消息不明となったという情報もあり、さらなる解明が待たれるところではある。
(続く)