有名なものは江戸時代に発行された『兎園小説』に掲載されているもので、現在の茨城県大洗町の海岸に漂着。中には箱を携えた美しい異国の女性が板が言葉が通じず、中にあった文字も意味不明のものだったので人々に恐れられて再度海に流されてしまったという。
以上が『虚舟』にまつわる話の概要で同様の内容を記した絵が日本各地に現存しているが、なんと山口敏太郎事務所はこの虚舟とは『また違った構図』の絵を手に入れた!
写真の絵が山口敏太郎所有の『虚舟』の絵である。波間にお椀型の黒い虚舟が描かれており、その上に天女のような一人の女性が立っている。手前には小さいながらも漁師のような格好をした男女の姿が描かれている。およそ一般的な『虚舟』の絵とはかなり雰囲気が違うが、この絵は何なのだろうか?
実はこの絵は蚕影神社(こかげじんじゃ)の縁起物の絵なのだ。軸装して飾るものなのでかなり長く、また絵の上部には『蠶影山大神』の字が併記されている。蚕影神社はその名の通り、『かいこ』養蚕にまつわる神社である。此の絵に書かれた女性は黄金姫といい、元は天竺(インド)のお姫様であったが継母に疎まれ、虐待を受けたために彼女を哀れんだ父親に寄って虚舟に折れられて海に流され、日本にたどり着いた。彼女は衰弱しており亡くなってしまったが、養蚕や生糸の製法を伝えたために神様として崇められるようになったのだ。
山口敏太郎所有のこの絵は、明治期に制作されたものと考えられている。文明開化の後、日本は主な輸出品として生糸の大量生産を行っていた。そのため、製糸業の人々がご利益を願って買い求めたものだと見られている。
なお、こちらの虚舟の絵は、軸装の後にお台場にある山口敏太郎の『妖怪博物館』に展示される予定である。
(山口敏太郎事務所)
11月20日 お台場に『山口敏太郎の妖怪博物館』オープン
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