大吉は「僕25、6の時に、福岡のテレビ局で電波少年みたいな企画をやることになってて。で、テレビ局と事務所が揉めて、テレビの生放送で『来月からアメリカ1年間行きます』って言ったけど、その企画自体がポシャって番組も終了して…」と企画自体がなくなったため、1年間謹慎するよう事務所に言われたらしい。
謹慎中の大吉は、「この世界への情熱がドンドン薄れていって、もうそろそろ辞めたりしなきゃいけないんだろうなって思ってたタイミングで、たまたま点けたテレビがめちゃイケで、岡村君がSMAPさんのコンサートに乱入して…」「中居さんのソロのパートを2人で大阪ドームを揺らしてるのをテレビで見てて、本当に酒も飲んでないけど泣いちゃったんですよ」と同期の岡村が大舞台で活躍している姿に感動したのだという。
そして、岡村が中居と踊っている姿を見た大吉は「で、26で自分が何やっていいかわからない時にテレビを見たら、岡村君と中居さんがドームで踊ってて、それをモニターでやべっちが見てて、このままじゃダメだと思って」「まぁドームの舞台までは立てないけど、なんとかこの2人の近くにいかなきゃと思って。で、もう一度漫才のネタ書いて復帰したんですよ」と冷めかけていたお笑いへの思いを再燃させてくれたナイナイやめちゃイケへの感謝の思いを語った。
今ではM-1の審査員を務めるほどの大物になった大吉だが、その道のりは決して順風満帆ではなかったと思う。だが、様々な苦労を乗り越えてきた過去があるからこそ、安定した漫才やトークスキルがあるのかもしれない。