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花嫁が消失! 「嫁取り橋」の由来

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画像はイメージです。

 滋賀県東近江市建部町にある瓦屋寺の近くに「日吉の溜」という大きな溜池があった。その溜池は、聖徳太子が四天王寺を造営した時、瓦用の粘土を掘ったために出来た池だと伝えられている。この溜池から水を出すための川があり、川には橋が架けられていた。

 昔、近江の甲賀の里に住む太郎右衛門には美しい娘がいた。かねてから娘に目をつけていた信濃の国の彦兵衛は「是非、息子の嫁に欲しい」と申し入れていた。
 そして春三月、娘は信濃の国へ輿入れすることになった。花嫁御陵を輿に乗せ、一行は甲賀を出発し中仙道を目指した。途中、日吉の溜の橋を渡ろうとすると、一人の老婆が立ち塞がった。
 「今、池の中で祝い事が行なわれている真っ最中だ。それが終わるまで橋を渡ってはならない」と、老婆は大声で叫んだ。従者の一人が池の中を覗いて見ると、小波が立っているだけで、何も見えない。しかし老婆は「池の主の婚礼で魚たちが祝っているのだ」と言った。
 「何を馬鹿なこと言うな。そこを退け、これ以上邪魔をすると、叩き切るぞ!」
 そう脅しても、老婆は一歩も動かない。頭にきた従者は、刀を抜いてとうとう老婆を切りつけてしまった。だが、その瞬間、老婆はふっと消えてしまった。

 老婆が立っていた橋の上には、金爛織の丸帯が置かれてあった。従者は「これは何とも美しい帯だ。頂く事にしよう」と、帯を長持の中に納めた。ところが、橋を渡り出して間も無く、花嫁の輿が急に軽くなった。不思議に思って輿の中を開けて見ると、花嫁が忽然と消えている。そして、何処からともなく「花嫁は確かに頂いた。金蘭帯はその礼のしるしだ」と、老婆の声が聞こえてきた。花嫁は池の主に取られてしまったのだ。

 それ以後、この橋をどの花嫁行列でも絶対に渡ろうとしなくなった。そして、誰言うことなく、その橋のことを『嫁取り橋』と呼ぶようになったという。

(写真:「瓦屋寺」東近江市建部町)
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)

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