豊橋にはマーク強引な丸地正家がいた。そういっては悪いが容貌魁偉で、かの比叡山の僧兵を思わせる選手だった。横にならんでぎょろりとにらまれたら、それだけで若手のマーク屋はびびってしまうのではないか、と思わせた。糖尿か痛風の持病を持ちながら闘っていた。
豊橋は昔流に言えば三河の国。名古屋の尾張とは気質も違う。三河人の根性は光っていた。そんな豊橋も最近ではふるダビの開催などで全国からファンの注目を集めている。
豊橋グループで注目された選手といえば、今回愛知の選手会支部長に選ばれた石川浩史(40期)だ。中京大自転車部から競輪界に入ったが、競輪学校では90勝をあげた。この期には菅野良信(鹿児島)がいる。在校成績も石川を上回り、プロに入っても自転車競技では菅野が活躍した。ただし、先行のキップの良さでは石川が上回った。
77年地元の豊橋でデビュー。8か月後にはA級優勝して79年の高松宮杯に選考され(4)(8)(9)(1)と最終日は1勝。続く競輪祭新人王では(2)(2)(7)と優参して存在感を示したが、岸和田のオールスターで初日1着も2日目に落車棄権とアクシデントがあった。
石川が中野浩一(福岡)井上茂徳(佐賀)相手に健闘したのは83年の前橋・日本選手権。最終主導権を取った石川は竹内久人(岐阜)を連れて先行、竹内にチャンスかと思われたが中野の2角まくりが炸裂、竹内が合わせる間もなく中野がまくり井上がG前追い込んで井上が最初にして最後の日本選手権を制した。
竹内から車券を買っていた私は地団駄をふんで悔しい思いをした。当時の中野の強さでは仕方のないことだったが、石川にとってみれば、1期後輩の井上のGI制覇は実に悔しいものだったろう。
その後、石川は当時としては数少ない中部の先行として逃げまくっていた。90年のふるダビ福井を最後に若手進出の波もありGI、GII戦線から後退していった。
現在はA3だが、3月小松島のA3チャレンジカップでは準優で同県の北川貴之(92期)を使い1着。52歳でも若手に負けない気力を見せている。