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【不朽の名作】頼むからタイトルを「Last Friends」だけにして欲しい「きけ、わだつみの声 Last Friends」

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パッケージ画像です。

 今回は8月15日が近いということで、1995年公開の『きけ、わだつみの声 Last Friends』を紹介する。本作は、終戦50周年に製作された作品で、第二次世界大戦末期に戦没した日本の学徒兵の遺書を集めた遺稿集『きけ わだつみのこえ』を元に作られている。いや、作られているはずなのだが…。

 実はこの作品ジャンルとしては戦争映画となるのだが、そう言い切れない部分が多い。ただし、かなり展開的に面白い作品ではある、主にネタ方面に。原作が『きけ わだつみのこえ』なので、あまりその部分に触れる人は少ないが、かなり純度の高いネタ映画だ。頼むからタイトルを『Last Friends』だけにして欲しいレベルで。

 主要キャストは勝村寛(織田裕二)、相原守(風間トオル)、芥川雄三(仲村トオル)、鶴谷勇介(緒形直人)の4人だ。当時若手の有力キャストを揃えて、普通なら戦争末期の学徒兵をしっかり描くはずだ。しかし同作では、しょっぱなから斜め上を突いてくる。冒頭、真夏のラグビー場で、鶴谷がスクラムを組んだ際に意識を失い、見慣れない3人の大学生ラガーマンに手を引かれて起き上がると、そこは1943年10月21日に挙行された学徒出陣の大壮行会真っ只中なのだ。この導入は凄い。「最近ライトノベルで流行の異世界転移モノかよ!」とツッコミを入れたくなるほどに。

 ここですでにノリ的には角川映画の『戦国自衛隊』と同列に扱っていいほどだが、この作品は原作が娯楽作品ではないのだ。その後は大真面目に残酷な戦時中の現実が、鶴谷の視点を通して描かれて…、いればよかったんだけどな…。

 本来現代人をタイムスリップさせる作品の利点として「こういう世の中だったんだよ!」と主人公を通じて、観る側も自然と説明を聞けるという点がある。また、現代人を年齢的に同年代の過去の人と絡ませるおかげで、価値観の違いなども表現できる。しかし、この作品の鶴谷は早々に徴兵拒否をして島に逃げてしまうので、冒頭以降、他の3人との絡みは一切ない。ただ島で「こんな戦争は間違ってる!」とわめくばかり。タイムスリップ設定の必要性はあったのか? 街でわめき散らせば、まだ許せたが。

 本編は勝村・相原のフィリピン戦線派遣組、特攻隊に志願した芥川、島に逃げた鶴谷の3つのストーリーが同時に進む。驚くべきことに、『きけ わだつみのこえ』を元にした展開は芥川の話でしか用意されていない。メインは尺の使い方を見ても、勝村・相原のフィリピン戦線派遣組だが、この戦場がまた凄い。輸送船がボカチンされ、隊は壊滅状態。命からがら上陸し、米軍迫る中、野戦病院にいると、的場浩司演じる大野木上等兵がぶんどったバイクとブローニングM1919重機関銃を担いで颯爽と登場。体中ベルト弾帯を巻きつけ、赤いバンダナを頭に巻いた大野木の姿は、どうみてもランボーだろこれ。この初登場シーンは劇中でも屈指の笑いどころだ。さすがにこれはやりすぎだろう。

 しかも大野木は慰安婦を連れての撤退で、この2人だけまるで『兵隊やくざ』のノリだ。明らかにこのタイプの映画に登場させてはいけないキャラだろう。途中でこの2人は別行動を取るのでまあいいのだが、その後の展開も微妙なのが困るところ。まず、すでに軍隊としての機能を失い、思い思いに飢えに苦しみながら撤退する人々とは到底思えない。とにかく騒ぎすぎなのが凄く気になる。従軍看護婦を連れているとはいえ、敵に発見される危険性もあるのに水場で大騒ぎ。さらに、飢えてそんな大声も出せないはずなのに、太ももを食いちぎられた友軍兵の遺体を見て「人を食ってるー!」の大絶叫だ。本来なら極限状態での人肉食は、市川崑監督や塚本晋也監督が撮った、大岡昇平原作の『野火』のように、それだけで1本の作品になってしまうほど重いテーマだ。“ただ入れただけ”感が非常に強い。これで何を感じろというのか…。

 勝村の最期のシーンは、この作品屈指の迷シーンだ。負傷している相原と従軍看護婦を残し、少尉である勝村以下2名の兵士でラグビーのトライに見立て、手榴弾袋を持ち、敵戦車と陣地に肉弾攻撃をかける。「どんだけ距離あるんだよ!」とツッコミを入れたくなるような位置から、猛烈な砲火の中を進んでいく。多分これ、勝村は時速100キロくらい走っているだろう。しかも、弾に当たっても、よろめきながらも動く。ちなみに、当時のM4中戦車に搭載されているブローニングM2重機関銃は12.7ミリのライフル弾で、人体が一発でも食らえば、その部分周辺が消し飛ぶくらい威力がある。それでも勝村は「トラーイ!」とくぼ地に飛び込んで爆発が起きてシーン転換となる。『きけ わだつみのこえ』をネタ元にしているのに、なぜこんな展開になるのか…。この突き抜けっぷりは、なかなかない。

 なお、この肉弾攻撃は、米軍に追い詰められた勝村が「敵からせめてワントライくらいは奪いたい」と個人的な信念で始めたもの。相原と鶴田真由演じる従軍看護婦には、投降を勧めていた。だったら米軍が降伏勧告を出している内に投降させろよ。結果投降もままならず、相原も傷が原因で、戦地に倒れてしまう。

 一方、鶴谷は広島憲兵隊に見つかり尋問を受けるが「こんな戦争は間違ってる」「こんな日本は負けた方がいいんだぁー!」と繰り返すばかり。もうオウムだか九官鳥のようだ。タイムスリップまでさせたのに、もっとなんとかならなかったのか鶴谷パート。結果的に、お話として安定しているのは、芥川のパートだろう。遺稿集を意識した進行にもなっている。しかし、他の2つのパートがぶっ飛んだ展開を繰り返すため、全く頭に入ってこないのが難点だ。

 この作品、数々のトンデモ展開を繰り返すネタ要素が強いのだが、なぜか「反戦映画」としての評価が非常に高い。それは、特定の思想に合っていればOKという人には、「こうあって欲しい」という要望に答えるシーンが、前後関係や展開がメチャクチャでも、多く劇中に組みこまれているからだ。要は、自身の持つ歴史観で、過去を裁きたい人には非常に良質な作品として映りやすい。このあたりに関して、批判も賛同もする気はないが、同作は、伝説の迷作『北京原人 Who are You?』と企画担当、脚本担当が同じということだけは言いたい。今あるかどうかわからないが、小学校の道徳の授業や、公民館での戦争を知る映画としてこれをチョイスするのだけは、頼むからちょっと考えて欲しい。『野火』とか『ビルマの竪琴』とか『ひめゆりの塔』とか、もっといいのあるから!

(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)

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