テレビ番組などでもおなじみの博物学者・荒俣宏の同名小説が原作の本作は、平将門の怨霊により帝都(東京)破壊を目論む魔人・加藤保憲とその野望を阻止すべく立ち向う、平将門の末裔である辰宮家との攻防を描いたシリーズの一作目となっている。石田は怨霊を鎮める能力を持つ主人公格の辰宮洋一郎役として出演した。ちなみに本作はHDVS(高品位ビデオシステム)として日本映画で初めてハイビジョンが本格導入された作品としても有名だ。
本作の印象だが、明らかに尺不足が目立つ。作中では明治末から昭和初期という、20年以上の時間経過があり、ダイジェストのような部分が非常に多い。それもそのはず、原作の文庫版だと10冊分になる長編を1本にしてしまっているのだから。冒頭からいきなり「加藤が来たぞー!」と言われても、原作未読だと唐突すぎてなんのことやらわからない。同作の翌年には原作の「戦争編」以降を映像化した『帝都大戦』が公開されているが、予算的事情を考えなければ、関東大震災の部分で一旦区切り、3部構成にした方が良かっただろう。
また、尺の都合に加え、さらに視聴者を混乱させる部分がある。同作は、物語の都合上、中盤以降は辰宮恵子と保憲の直接対決、将門復活を阻止する洋一郎の行動、保憲が利用している龍脈を破壊する地下鉄掘削現場チームと鬼との対決という、3つのストーリーラインが用意されているのだ。複数のストーリーラインを同時進行した成功例として、有名な作品に『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』があるが、同作では、過去2作品によるキャラの魅力や因縁の積み重ねがあるので、苦もなく話の流れを追える。しかし、この作品ではそれがないのでかなりごちゃごちゃしている。加えて、話の流れ的には入れなければいけないのだが、渋沢栄一(勝新太郎)などが、東京の都市計画ついて論議する場面も、また別の展開として用意されており、話を追うのに、かなり苦労するのだ。
しかし、そういったダメな部分を持ちつつも、この作品はなぜか魅力的だ。その大きな理由のひとつが、保憲役の嶋田久作の存在感だ。とにかくハマリ役で、魔人と渾名されるイメージそのままのザ・悪役といった感じだ。嶋田は元々舞台作品で保憲を演じており、映画化の際も、実相寺昭雄監督の目に留まりそのまま出演した経緯がある。また、同作も文庫化に合わせて、保憲の容姿は嶋田に描き直されており、さらに後のOVA(オリジナルビデオアニメーション)版にも同役の声優として登場するなど、キャライメージがそのまま役者のイメージになってしまっているような存在だ。とにかく、一度見たら忘れない顔だ。これで派手なアクションとかをしてくれると、さらに迫力が増すのだが、同作は陰陽師同士がぶつかり合う、陰陽バトル的側面があるのにも関わらず、アクションシーンは地味な部分が多く残念だ。
作中に登場する式神の動きなどにも注目だ。同作では式神の動きにコマ撮りを採用するなど、かなり手間がかかっている。いまでは安っぽく見えてしまうかもしれないが、CGやアニマトロニクスのなかった時代は、クリーチャーに動きを与えるのには、なくてはならない技術だった。そのコマ撮りに、当時最新だったSFXなどを組み合わせて作っており、この時代らしい味わいがある。
他にも、意図したかどうかは定かではないが、ネタ方面でも見所があるので、この作品はかなり楽しめる。終盤の地下鉄掘削現場での学天則と龍脈に巣くった鬼との対決だ。
学天則は実在した東洋初のロボットなのだが、何を思ったのか、これにドリルとダイナマイトをつけて、鬼と立ち向かわせるのだ。仏像のような顔に、ドリルというアンバランスな出で立ちがとにかくおかしくて笑える。さらに、遠隔操作ができなくなり、学天則が動けなくなると、開発者の西村真琴(西村晃)は、「こんなこともあろうかと」と、『宇宙戦艦ヤマト』の真田志郎や『ウルトラマン』のイデ隊員のノリで学天則に自爆装置があると明かすのだ。ちなみに、西村晃は実父・西村真琴を演じたことになり、このセリフを言った時どう思ったのかを想像するとまた笑いがこみ上げて来る。もちろん、実在した学天則には自爆装置がついていたという資料はない。この自爆装置の火薬量が、またかなりのもので、「絶対爆風で巻き込まれているだろ!」とツッコミたくなるような演出になっている。
ストーリー面での尺不足や、場面転換のめまぐるしさはともかく、同作は、視覚的には非常に楽しませる部分が多い作品だ。現在の技術でリメイクすれば、もしかしたらかなり良くなる作品ではないだろうか? その場合、保憲役を誰にするかで、大きく変わってくるかもしれないが、やっぱり嶋田にもう一度演じてもらうくらいしかないかな…。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)