コムスンについては、以前から「介護という精神的にも肉体的にも大変きつい労働なのに、賃金は著しく低い。業界で屈指の低賃金」「若い人材も優秀な人も雪崩のように辞めていく」「ケアセンターは、いつも無人状態で、いつ電話してもつながらない。つながったかと思ったら片言の日本語しか話せない東南アジアの人が電話に出る。コムスンは、いったいどうなっているんだ?」という声が全国から聞こえていた。悪い評判は有名だったのである。
コムスンの親会社で実質的なオーナーである、グッドウィルグループ(東証1部上場)の折口雅博会長(45)とは、どんな人物なのか。
「東京の田園調布に7億円の超豪邸を構え、3000万円の高級外車を乗り回していると聞きます。年に1回、グループの幹部が豪華ホテルのプールの周りを囲んでパーティーを開き、船に乗った折口氏がプールから登場して参加者と一人ずつ握手。彼の威厳を示すそうです。介護の現場で汗を流すことなど、頭にはないのでしょう。奇麗ごとを並べてカッコつけないで、泥と汗にまみれて奉仕することが、経営のトップとしての姿勢ではないのか」(訪問介護関係者)
今回の“事件”を解くカギは、折口氏の生い立ちに隠されているようなのだ。
折口氏は1961年、東京都に生まれた。人工甘味料の生産工場を経営する父は、戦後まもなく30歳で会社を設立。業界のトップとして活躍していた。この父親の姿が折口氏の人格形成に大きな影響を与えたようだ。しかし、裕福な生活は父の会社の倒産で一変する。生活保護を受け、切り抜けたこともあったという。この時、「力をつけて絶対に勝つ」という強い意識を持ったようだ。
「15歳の時に陸上自衛隊少年工科学校に入学しました。経済的理由から費用がかからず、月給も支給されたからです。そして、18歳で防衛大学校に入学。22歳で卒業と同時に日本ユニパック(現・日本ユニシス)に入社。1年間、コンピュータの販売を経験したあと、日商岩井に入社。27歳のときに静岡県・浜松にインドア・ウォーターパークを建設します。電子産業部の一社員が建設の元請け契約を成立させたことで、社内を驚かせました」(折口氏を知る関係者)
そして、30歳の時にジュリアナ東京を立ち上げ、日商岩井を退社する。商社と有名ディスコの提携という話題性もあり、社会現象にまでなった。
【写真】7億円といわれる折口雅博会長の豪邸(東京・田園調布)