さて、山下の家庭というのは、特に問題があった形跡は無い。山下自身は営業マンの仕事をキチンとこなしており、妻もまた国際線の客室乗務員としてバリバリと働いていた。収入に不自由は無く、夫婦仲が悪いわけでもない、ごく普通の家族だった。
山下自身も、家庭を壊す気などまったく無かったのだろう。山下にとって明美さんは、あくまで遊び相手、浮気の対象でしかなかったことは明らかである。
しかし、妊娠したとなると話は違う。これをきっかけに、明美さんは山下に結婚を迫るようになっていった。
ところが山下は、はっきりとした返事もせず、そのままずるずると不倫の関係を続けた。
「女なんて、いざとなればどうにかなるさ」
学生の頃から「イケメンでモテ男」という経歴の持ち主だったため、山下には女性というものを甘く見る傾向があったのかもしれない。
だが、身ごもった女性は強かった。優柔不断な山下に、明美さんは何度も結婚の返事を求めた。
そうした彼女の度重なる要求に、山下はついに「わかった、妻とは別れる。結婚しよう」と返事をしてしまう。当然、離婚する気などはまったくない。まだ「どうにかなる」などと、山下は思っていたのだろうか。
その年の夏頃には、明美さんのアパートでは山下と連れ立って歩く彼女の姿が目撃されている。近所の住民たちは、「新婚さんだとばかり思っていた」と口をそろえる。その頃には、明美さんのお腹も大きく目立つようになっていた。
そして、10月には明美さんは勤め先を退社。同僚たちには「寿退社」と告げていたようだ。
さらに明美さんは、新潟に住む両親に、「結婚することになった。年明けには2人そろってあいさつに行きます」と連絡を入れていた。
この時期になって、ようやく山下はことの次第に気づいた。もうごまかしはきかない。
そして、年も押し迫った12月21日、明美さんのアパートで、山下は「やっぱり結婚は無理だ」と告げる。
その言葉に、驚いた明美さんは山下に詰め寄った。しかし、山下の口からは無責任な言葉が漏れるばかりである。
いつしか2人は口論となり、激しく言いあうようになっていった。
(つづく)