昭和から平成にかけて、天下を取った唯一の女芸人といえば、この人しかいない。山田邦子だ。女性のピン芸人では初めて、全局でゴールデンタイムの冠番組を持ったリビングレジェンド。ピーク時のレギュラー番組は、14本。フジテレビ系列の伝説のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(1981年〜)でメインを張っていたころは、月収が島田紳助(引退)の年収に値した。
食えない芸人、女優、舞台役者を集めて、ホームパーティを開くことがしょっちゅう。把握しきれないほどの番組関係者を引き連れて、朝まで飲むことも当たり前。ひと晩でン百万円散財することも、日常茶飯事。そんな、絵に描いたようなブルジョア生活は、バブル崩壊後も数年、続いた。
当時から今なお所属しているのは、太田プロダクション。ビートたけしにあこがれて芸能界に入ってきたため、当時、たけしが所属していた事務所をあえて選んだ。そのころ、同プロの芸人部門を制圧する勢いだったのが、たけし軍団。
邦子は、たけしのまな弟子全員に飯を食わせたうえ、吉原まで一緒に行って、「遊んできなよ」とソープランドの費用をわたした。別れ際に、「私よりかわいい娘、指名しちゃダメよ」というメッセージを言いわたし、自身はメンバーが勤しんでいるあいだ、車中で待っていた。
88年〜95年まで、8年連続で好感度ランキングのトップ。89年には、タレントブランドの出店ブームに乗って、東京・原宿の竹下通りにオリジナルブランド「KUNY」をオープンした。ところが…。全焼して閉店に追い込まれた。散り際にまでオチをつけたあたりは、さすがである。
フジテレビ系列の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(89年〜)は、挿入歌の「愛は勝つ」(KAN)が200万枚を超えるダブルミリオンを達成。尊敬するたけしが、日本テレビ系列『天才・たけしの元気が出るテレビ』で共演者を歌手デビューさせると、“やまかつ”もコピー。みずからは「やまだかつてないWINK」として、CDを発売した。番組のベストアルバム「やまだかつてないCD」は、50万枚を超える大ヒットになった。
視聴率20%超えが珍しくなかった番組だが、タナボタ的に楽曲がヒットしたことが、寿命を縮める結果を生んだ。音楽にシフトチェンジしたい制作陣と、お笑い愛があふれる邦子らで方向性が分かれてしまい、番組は打ち切り。邦子は再び、男気あふれる散り際を見せたわけだが、このあたりから人気は緩やかに降下。不倫発覚、暴言などが追い打ちとなり、90年代も後半にさしかかるころには、表舞台から姿を消した。
「女芸人」。そんな言葉が広く深く浸透する10年以上前、邦子は芸能界のセンター争いで、ぶっちぎりの圧勝だった。(伊藤由華)