福岡・博多で発生した金塊盗難事件の容疑者と写った画像が、SNSでアップ。さらに、ライブチケットに“コネ枠”があったことを記すLINEのスクリーンショットが流失。5月27日のNEWSライブツアーの和歌山公演で、本人が弁明・謝罪したため、騒動は収束すると思われるが、暴れん坊のイメージは拭えない。
今でこそ“ジャニーズイチのチャラ男”となったが、ジャニーズ事務所へ入所した当初はエリートだった。98年に増田貴久、99年に加藤シゲアキ、01年に小山慶一郎、その翌02年に入った手越は、メンバーでもっとも浅いキャリア。加藤とそろって最年少でもある。ところが、入所後わずか10か月でNEWSに抜てきされて、翌03年にデビューしている。
大器の片りんは、オーディションの段階で、すでに見られた。会場となった東京・渋谷のNHKには、のちにHey!Say!JUMPとなる八乙女光、Kis−My−Ft2となる玉森裕太もいた。15歳だった手越と12歳だった八乙女を含む全員はオーディション終了後、いったん会場から退出させられた。ほかの少年たちが帰るなか、2人はジャニー喜多川社長から呼び戻され、「このあとV6のライブが代々木体育館(代々木競技場第一体育館)であるから、YOUたち付いてきて」と誘われたのだ。
オーディション会場から至近距離にあるライブ会場に移動して、生のV6を堪能。すると今度は、近所の松濤スタジオに連れていかれ、突然、ジャニーズJr.たちの取材に合流。訳がわからないまま先輩Jr.たちのなかに放り込まれると、その様子が有名アイドル雑誌に載った。
初のオーディションでジャニーさんに見初められ、スター候補生になった2人。八乙女は、入所2年後に『3年B組金八先生』(TBS系)の第7シリーズにレギュラー出演。薬物におぼれる中学生という難役を、13〜14歳で演じた。いっぽうの手越は、幸先いいスタートを切ったものの、グループ加入後はノンキャリア、最年少というカベにぶち当たり、挫折。克服するために、メンバーに内緒でボイストレーナーをつけ、学校帰りに2時間レッスンを受ける生活を2年も続けた。その努力は実を結び、06年に増田とヴォーカルデュオのテゴマスを結成。デビューシングル『ミソスープ』は、オリコンシングルチャートで1位を獲得している。
現在は、大人気バラエティ『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)で欠かせない存在の“エンターテイナー手越”。彼は、計り知れない運と骨太精神の持ち主なのだ。