「戦法は関係ない。どうしたら1着がとれるかを考えて競走するレースに徹してきた」(桑野)。
S獲り全盛期の昭和57年、富山記念ではA級2班ながら清嶋彰一(当時福井)の後ろのビック滝沢正光(千葉)をさばいて優勝。同年の高松オールスターは特別初出場ながら1着を獲っている。
昭和58年にS級制が採用されると、念願のS1に上がり、途中落車で顔面をこする事故もあったが「しぶとい選手」として穴ファンから人気を得た。GI、GIIの優参は平成8年のふるダビ和歌山(3)(2)(2)(9)だけだが「何かやってくれる」期待感を持たせた選手だった。
51期の野原哲也は高校を出てから2年ほど家業の手伝いをしていたが、自転車に乗り始めるとわずか3か月で1000メートル1分11秒台を出して関係者をびっくりさせた。在校成績は66勝で4位だったが、S獲り回数は118本と抜群のダッシュ力を誇った。卒業記念では山田英伸(神奈川)を破り優勝。デビュー後は13か月でS1に上がり、中野浩一(福岡)の出世記録にタイという素晴らしさだった。昭和59年には「最強の若手軍団」といわれた51期の中で最初に特別競輪参加を果たしている。
初の特別出場では(1)(6)(1)(7)と二次予選で敗退したが2勝を挙げて一線級での活躍が期待された。昭和60年の一宮オールスターでは(1)(5)(3)で準優を突破して優参した。さらに61年にはいわき平のオールスターでも(1)(1)(3)(9)と優参している。GI、GIIの優勝はないが、追い込みに変わってからは安定した走りで人気に応えている。