「前立腺は尿がたまる膀胱の下にあり、尿道を取り囲むように位置する臓器です。40歳以上の8割はこの臓器が大きくなる前立腺肥大症に罹ると考えられているため、年齢によって大きさや重さは異なりますが、20歳くらいの若い成人男性の場合だと大きさは栗の実ほど、重さは15グラムほどです。精液を構成する成分の3分の1を作っていることが大きな特徴で、射精された精子が女性の膣の中に留まりやすいよう、つまり、妊娠しやすいよう粘り気のある半固形の状態を保たせているのも、前立腺から分泌される成分なのです」
栗の実ほどの小さな臓器が、実は人間の命をつくるために大切な役割を果たしているわけだが、この前立腺に起こるがんが増えているというのだ。
国立がん研究センターによると、2000年に約2万人だった患者数は、2005年には倍増して4万人を超え、2014年には約7万4000人に到達、男性のがんの罹患数で4位に浮上した。
その後も増え続けており、2016年に施行された「がん登録推進法」に基づき厚生労働省が行った調査によれば、同年における患者数は約9万人で、男性のがんの多さでは2位。2020年以降には胃がんを抜き、男性が罹るがんのトップになると予想されている。
★有効な検査方法普及で患者増加
それでは、なぜ急増しているのか?
頴川教授は、(1)高齢化、(2)食事の欧米化、(3)効果的な検査方法の普及―の3点を理由に挙げる。
「他のがんと同じように、前立腺がんも加齢によって発症リスクが上がります。特に50歳以降に罹りやすくなると考えられており、現在、患者の罹患平均年齢は72歳です。長生きする人が増えることで、患者が増えているのは間違いないでしょう。一方、食事の欧米化の影響は厳密には分かっていませんが、動物性タンパク質の摂り方が変わったこと、つまり、魚を食べる量が減り、赤身の肉を食べる量が増えたことが影響している可能性があると考えられています。そして重要なのは、効果的な検査方法が普及して、見つかりやすくなったことです」
頴川教授の言うその方法とは、「PSA検査」と呼ばれるもの。PSAとは、前立腺から分泌されるタンパク質の一種であり、採血によってこの成分がどれくらい血液中に含まれているかを調べるのがPSA検査だ。
がんなどによって前立腺に異常が起こると、PSAが血液中に放出されて濃度が上がるため、前立腺がんの疑いがあるかどうかを調べるのに有効だという。
PSA検査は、元は法医学の見地からレイプ事件の検査などに行われていたが、’86年に海外で臨床に応用され、後に日本にも導入された。
頴川教授は、1992年に日本で初めて人間ドックのオプションにPSA検査を組み込んだ、検査普及の一端を担った医師でもある。現在は健康診断や人間ドックのオプションとして、2000円ほど追加料金を払えば受けられる。
診断するためには、MRIや前立腺の組織を調べる生検を行う必要があるが、前段階のスクリーニング方法が普及したことで、発見率が上がったというわけだ。
★早期発見により完治の可能性大
見つけやすくなったというが、前立腺がんを予防する方法はないのだろうか。胃がんについては、発症の主因となるピロリ菌への感染の有無を調べ、感染していれば除菌することで「ほぼ防げる」と、消化器内科医は口をそろえるが、前立腺はどうなのだろう。
「今までに予防医学を目的に様々な大規模研究が行われてきましたが、有効な方法は見つかっていません。そもそも、胃がんを除く多くのがんと同じように原因が解明されていないので、防ぐ方法も分からないのです。多くの病気と同じように、前立腺がんも早期発見が最も重要です」(前出・頴川教授)
頴川教授によれば、前立腺がんは進行すると骨に転移しやすく、骨への転移後は激烈な痛みが出やすい怖い病気だが、転移する前に見つかれば、完治する可能性は非常に高いという。
「私が若手の医師だった30年ほど前は、入院患者さんのおよそ4割に転移が見られましたが、検査方法の普及などによって、現在、東京慈恵会医科大学附属病院でいえばその割合は5、6%にまで減りました。前立腺がんは胃がんや大腸がんと同じように早期発見が行いやすく、また、早く見つかれば治せる可能性の非常に高いがんなのです」(同)
治療方法は、手術や放射線療法、男性ホルモンの分泌を減らしてがん細胞の増殖を防ぐことを目指すホルモン療法が挙げられる。これらの治療を行うことで、尿漏れや勃起不全(ED)、血尿、直腸障害などの副作用が起こる可能性はあるが、少なくとも早期発見・早期治療で死の危険性は減らせるわけだ。
また、前立腺がんは10年以上かけてゆっくりと進行していく特徴があるため、仮に見つかったとしてもがんの状態や症状の有無、患者の年齢や本人の希望によって、治療を行わず様子を見るケースもあるという。
PSA検査によって、病気の疑いがあるかどうかを調べられるというが、検査を受けたほうがいい目安となる症状はあるのだろうか。
結論から言えば、他のがんと同じように初期には症状が出ないことが多いため、無症状の段階から検査を受けたほうがいいそうだ。
病気が進行してがんが大きくなると、前立腺の中を通っている尿道が圧迫されるため、尿が出づらくなったり、残尿が増えることで頻尿になったりすることがある。がんが膀胱に侵食すると血尿を引き起こすこともある。
尿道に近い場所にがんができれば、初期であってもこれらの症状が起こることはあるが、前立腺がんの7割は尿道から離れた場所に起こると考えられているため、多くの場合、進行しないと症状は起きないという。
「前立腺がんは50歳頃から罹りやすくなりますが、55歳以上でも治療によって完治する可能性が高いため、55歳を超えたら必ずPSA検査を受けるようにしましょう。それ以降も年に1度のペースで検査を受けることをお勧めします」(同)
「男性がこれから最も罹るがん」とだけ聞けば怖い印象を抱きやすいが、「55歳を超えたらPSA検査」を胸に留めておけば、あまり死の危険を心配する必要はないのかもしれない。