プロ15年目を迎えた今シーズン、ここまで打率.143(試合前まで)と深刻な打撃不振に苦しんでいた鳥谷。最近は代打での出場により、辛うじて記録が継続されている状況だった。しかし、迎えた今回の試合、ゲームセットの瞬間までその名前が球場にコールされることは無かった。
歴代1位の故・衣笠祥雄氏(2215試合)に次ぐ、歴代2位の記録となった鳥谷の偉業。その歩みが止まったことは惜しむべきことだが、今後の鳥谷がこれを契機として、また、新たなる一歩を踏み出してくれることを願うばかりだ。
ところで、今回終止符が打たれる形となった鳥谷の記録だが、連続試合出場が始まった2004年9月9日のヤクルト戦からは約14年が経過している。当然、この試合に出場していた選手の多くは既にユニフォームを脱いでいるのだが、今なお現役生活を続けている選手も3人いる。
1人目の選手は、この試合に中継ぎとして登板した藤川球児。この年から本格的に中継ぎ転向した藤川は、その後、最優秀中継ぎを2回(2005年・2006年)、最多セーブを2回(2007年・2011年)獲得するなど日本を代表する好投手となった。
2人目の選手は、この試合に先発登板していた雄平。現在、ヤクルトの主力打者として活躍しているこの選手だが、当時はまだ野手転向前(2009年シーズン終了後に転向)で、しかも、その登録名も「高井雄平」と現在とは異なっている。
最後に紹介するのは、ヤクルトの3番手としてマウンドに上がった五十嵐亮太(現ソフトバンク)。MAX158km(当時のプロ野球記録)の速球を武器に、この年の五十嵐は最多セーブ(当時は最優秀救援)のタイトルを獲得している。
鳥谷が積み上げた1939試合の、1試合目に立ち会っていた上記の3選手たち。その記録の幕切れは、彼らの目にはどう映ったのだろうか。
文 / 柴田雅人