search
とじる
トップ > 芸能ニュース > ジャニーズ苦労人アイドル“関ジャニ∞”の軌跡(2)

ジャニーズ苦労人アイドル“関ジャニ∞”の軌跡(2)

 関ジャニ∞が結成された2年後、後輩のKAT-TUNがメジャーデビューをはたした。しかし、同じステージに立ったとき、人気の差は歴然としていたため、秘策を編みだした。呼び込みをされた直後に、「ど〜もぉ!」と声を張り、飛ばない声援を隠すというものだった。

 ちなみに、このころの関ジャニはデビューしておらず、“声でごまかす”裏技は、関西ジャニーズJr.が今も継承している。

 KinKi Kidsに続くアイドルが、関西から誕生するかもしれないと大きな期待を寄せられたのは1997年。ジャニーズ事務所が京都駅で、地方都市としては史上初の超ロングラン公演『KYO TO KYO』を開催したのだ。主役は嵐の大野智。関ジャニも要員として出演したが、段ボールの下で残った24.5cmと27cmの靴を履いて踊ったり、1日3食毎日弁当など、多人数がゆえの苦労は多かった。

 公演後、関西のJr.はほとんど退所したが、残った関ジャニは、折りしも押し寄せていた“ジュニア黄金期”の波に乗って、東京で仕事が増加。移動は、新幹線の自由席。デッキに荷物を置いて、その上に座って、3時間弱を耐えた。

 ところが、Jr.ブームはまもなく去り、末端の関西勢はお役御免。冬の時代に突入すると同時に、みなアルバイトをはじめた。

 村上信五は、遊園地のもぎり。横山裕は正社員として、建築現場。大倉忠義は、朝刊配達や顧客の名簿打ち。安田章大と錦戸亮は、服屋の売り子。丸山隆平は、配送業。渋谷すばるは、棚卸業やガソリンスタンド。

 開店休業状態が久しく続いた関ジャニ。そんなとき、時計の針を再び動かす救世主が現れた。内博貴である−−。(続く)

関連記事


芸能ニュース→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

芸能ニュース→

もっと見る→

注目タグ