そして眼鏡っ子へのこだわりはそれを上回るだろう。
現在「ドリフターズ」を連載中の漫画家、平野耕太氏がツイッター上で「眼鏡っ子」へのこだわりを明確にそして過激に主張している。
伝えているのは、『Togetter -「平野耕太氏による眼鏡っ子考察」』(http://togetter.com/li/52392)。それによると、平野氏の眼鏡っ子の定義は次のツイートから読みとれる。
「寝床で読書せず細かい字で書きものしない人間はそもそもメガネなんか、はなから掛けてない。コンタクトだろう」
「そもそもメガネをかけるに値する生活と身上を基盤としていない眼鏡っ子は、眼鏡っ子ではなく、ただメガネを掛けているだけの女だと、世界中の人にそろそろ知らしめるべき」
つまり、寝床で読書して細かい字で書きものをする、つまり勉学に励むためにどうしても眼鏡を必要として眼鏡を掛けている女性こそが眼鏡っ子だということだろう。
そして、この論理では、目が悪いという理由だけで眼鏡をかけている女性は「ただメガネをかけているだけの女」だという。そして平野氏は、目が悪くないのにメガネのフレームだけ掛けている、伊達メガネ女子についても次のように語っている。
「伊達眼鏡に至っては、自己が眼鏡っ子に値する生活を営んでいないにもかかわらず、眼鏡っ子として見せるために欺瞞擬装をしていることであり、全員弾劾裁判のうえ、磔刑にするべきだと強く言いたい」
磔(はりつけ)とは物騒だが、もちろん平野氏流のジョークだろう。たしかに眼鏡ブームと言うだけで、ファッションとして、またはモテるために眼鏡をかける人は「低い視力を補助する」という眼鏡本来の機能を全く無視しているとも言えるのだ。それは眼鏡に対して失礼だと平野氏は主張しているのではないかと思える。
そして平野氏は、夢を語っている。
「いつの日か足立区のこの土手で、アラブ人の眼鏡っ子とユダヤ人の眼鏡っ子と、黒人の眼鏡っ子と白人の眼鏡っ子と黄色人の眼鏡っ子がともに手をとり、キャッキャウフフしてるのを草葉の影からカメラを回してじっとりと眺める日が来るのを」
「最終的には、世界中全ての人間がメガネをかけ時を経て、「凄い太古の昔、メガネをかけてない人間がいた」という歴史の授業が始まり、メガネかけてない世界最後の男のウィルスミスがメガネかけた人間を殺しまくってた怪物として歴史書に登場してる世界にすることです」
そんな平野氏の眼鏡SF漫画を読んでみたいと思うのは筆者だけだろうか。平野氏の今後の動向に眼鏡が外せない。(メガネ王)
【参照】非モテタイムズ
http://himo2.jp/