くっきーは芸人のほかアーティストとしても活躍しており、個展『超くっきーランドneoneo』が全国を巡回している。展示は台湾でも行われ、好評を博した。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであるが、野性爆弾は苦労人コンビとして知られる。
「野性爆弾は1994年にコンビ結成。今年でデビュー25年目にあたります。吉本興業の芸人養成所であるNSC大阪校の13期生にあたり、同期には次長課長、ブラックマヨネーズ、チュートリアルの福井義実などがいますね。野爆の略称で知られ、実力派コンビとして知られていましたが、なかなかブレイクに至りませんでした」(放送作家)
なぜ、野性爆弾は売れなかったのか。そこには強烈すぎる個性が災いしたとも言われる。
「野性爆弾というと、くっきーのルックスやキャラばかりに注目が集まりますが、実はコンビそろって変人として知られます。代表例としては、コントにおいてあえて一分間沈黙するといったものですね。ただ、90年代の後半には『家族そろってボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演するなど、吉本における若手芸人のホープとして売り出された時期もあります。そこでも、くっきーは『高木美保さんの下アゴ』の自作小道具を持参するなど、ぶっ飛んだキャラクターを続けていました。共演していた土田晃之はそれを見て、『こいつら絶対売れないだろうな』と思っていたそうです」(前出・同)
ただ、野性爆弾は芸人間での評価は高く、同期芸人のブラックマヨネーズの吉田敬はラジオで「ワケの分からんことをしてなかったら、もっと仕事増えるはずやのに」とも評していた。芸歴20年オーバーのブレイクは、やっと時代が追いついたといえるかもしれない。