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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(23)

 さて、長きに渡り根岸競馬場の歴史を回顧してきたが、ここからはその歴史の締めくくりとまだ語っていなかったエピソードを、当時を知る元騎手と元理事に紹介頂こう。

 旧根岸競馬場は、昭和44年(1969年)、馬場内の4万坪(1万3200平方メートル)が米軍から国に返還され、横浜市の森林公園となった。隣接する、約7500坪(2万4800平方メートル)を日本中央競馬会が国から買収して、根岸公園記念公苑を開設した。続く第二次解禁で、旧スタンド地域が横浜市に買収され、スタンドのうち、旧2等馬見所は取り払われたが、1等馬見所の建物は、公園施設として市が保存、活用することとなった。競馬のレース面のことは、競馬会に、かなりデータは残されているが、競馬場があったころの内部の状況や、周辺の模様は、当時の方々、付近の皆さんから聞いて記憶しておく必要があるのではないか、ということで、当時をしのぶ方々から、思い出を聞かせて頂いた。

 W(元理事):そういうわけで、当時の思い出をざっくばらんに聞かせて頂きたい。

 N(元騎手):それはいい。当時のことをご存知の住民の人たちを合わせてね。

 W:今も森林公園にそびえている1等スタンドの建物は、屋上に3つの塔屋が並んでいるところは、府中の東京競馬場スタンドの、まさに原型だね。

 B(元騎手):3つの塔には避雷針が立っていたかな。

 N:昔は4本柱で避雷計が立っていたけれど、あれは今はなくなっているね。僕は、ヤマトキョウダイで天皇賞をとった時、あのスタンドを型どったカップを貰ったんだ。それは府中の競馬博物館に、菊のご紋のついたレイと一緒に当時の写真をつけて寄付したよ…。

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