search
とじる
トップ > 芸能ニュース > 押尾学被告が率いた「LIV」とは何だったのか?

押尾学被告が率いた「LIV」とは何だったのか?

 「民放キー局の主演ドラマがあったので、押尾学被告が俳優であることを知る人は多いが、歌手だったことを知る人はかなり少ない。まあ、大したヒット曲もなかったし」(週刊誌記者)

 公判を重ねるたびに自ら主張する「無罪」の可能性がゼロに近づいている押尾被告だが、「10日に証人として出廷した自らを取り調べた検察官をまるで狂犬のような目でにらみつけていた。『LIV』でブイブイ言わせていた時もあんな目だった」(公判を傍聴した記者)。
 もともと俳優として売り出していた押尾被告だが、4歳から8年間過ごした米・ロサンゼルス時代に音楽に傾倒。「小4で親父らとガンズ(アンド・ローゼズ)のライブに行った時、将来こうなりたいと思った」(本人談)。帰国後は友達らとバンドを組んで、東京・横田基地で大暴れ。「客の外人が乱闘始めて、そこにダイブして混ざっていた」(同)というが、ハッキリ言って商業ベースに乗るかは疑問だったが、「当時所属していた大手事務所は、押尾被告の好きなようにやらせていた」(芸能記者)というから音楽活動を許したが、かき集めたメンバーもすさまじい。

 「メンバーの南徹は派遣型売春クラブで荒稼ぎし今年6月に売春防止法違反で逮捕された。ほかにもかなりヤバイ素性のメンバーがいたがあまり表に出ず、曲のほとんどは作詞が押尾で作曲を南が担当していた」(レコード会社関係者)
 歌詞は押尾被告が「英語で書いたのを日本語に直す」(本人談)。所属していた事務所のおかげで、大手レコード会社に所属し、スポーツ紙を中心にデビューに向けた大プロモーションが展開され02年1月にファーストシングル「Without You」が発売されたが…。
 「オリコンシングルランキングは初登場14位と期待外れで4万2770枚しか売れなかった。その後、事務所のおかげでドラマやCMのタイアップを獲得したが、シングル、アルバムともに売り上げが10万枚を越えた作品はなし。05年に発売したベストアルバムはわずか7072枚しか売れなかった」(同)

 やはり商業ベースには乗らず、05年12月に押尾被告が前所属事務所から独立すると、レコード会社との契約も切られ、インディーズレーベルからの発売となったが、「シングル・アルバムともに売れても1000枚から2000枚程度。にもかかわらず、押尾被告が頻繁に海外に行けたのはパチンコメーカー社長や下着通販会社の女社長らタニマチのおかげ」(同)

 さて、肝心の歌唱力だが、「マイクを口に近づけて持ちすぎ、意識的に甘い声を出そうとしているためか、早口で何を歌っているのか聞こえず、みんな『♪ニャニャニャニャ〜』って聞こえた。自己満足の“ジャイアンレベル”」(ライブに行ったことがあるレコード会社関係者)と厳しい評価だ。
 公判によると、件の女社長は押尾被告に「クリエイターは環境が大事。出世払いでいい」と自らが家賃50万円で借り上げた東京・六本木ヒルズレジデンスの部屋を08年6月から無償で“又貸し”したが、その時期以降LIVの曲は発売されておらず、押尾被告の“ヤリ部屋”として事件の舞台となってしまった。

関連記事


芸能ニュース→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

芸能ニュース→

もっと見る→

注目タグ