そもそも中居は、ジャニー喜多川社長から事前に、「YOUに似てる子がいる。今度見せてあげるよ」と吹聴されて、剛を紹介されている。場所は、SMAPのコンサート会場の楽屋だった。対して、光一にまつわる事前セールスはなし。2人がバックダンサーになってから、光一の顔と名前を覚えた。KinKiがまだ、前身のKANZAIBOYA(カンサイボーヤ)を名乗っていたころだ。
このあたりから2人は、中居の真面目すぎる素顔に何度もふれている。剛が感涙したのは、中居がまだ1人でコンサートの構成を考案していた93年。SMAP恒例の元旦コンサートで、中居がなにげなく放った“神言葉”だ。「KinKiの2人に悲しい思いはさせたくない」。客席から、「バックでKinKi KidsやJr.が踊っているのをどう思いますか?」という質問が飛んだときの、答えである。実にシンプルではあるが、これには、中居なりのワケがあった。
SMAPが光GENJI(解散)のバックで踊っていたころ、衣装替えの時間つなぎでSMAPのコーナーがもうけられていた。ところが、6人が話し、歌いはじめると、観客はゾロゾロとトイレに立った。ステージからその様子を見た中学、高校生だったSMAPは、ショックだった。その苦い思い出があるため、直の後輩に同じ思いはさせたくないと思っていたのだ。
この理由をステージで話す中居に、剛はその場で涙した。涙をぬぐうためにタオルを借り、そのタオルを首からかけたまま、次の楽曲に突入してしまったほど、動揺もした。
偉大なSMAPを追い、ステージをともにしていたため、当時の2人は振り付けが完ぺきだった。94年の夏ライブでは、中居が「あれっ、ここ、なんだっけ? どういうんだっけ?」と困ると、すぐに剛が前に出てきて、「こうですよ」と教えた。SMAPは、「なんだ、こいつ。すげぇ」と感心した。当時からダンススキルが高かった剛。一方そのころ光一は、しょっちゅう振り付けを間違えては、笑ってごまかすのが日常だった。
そんな光一も今では、主演ミュージカル『Endless SHOCK』の座長。17年3月には、1,500回記念公演を控える。ステージ作りの基礎は、間違いなくSMAPから学んだといっていいだろう。
大みそかの“紅白”で共演できないのは寂しい限りだが、5人になったSMAP、一流アーティストになったKinKiの夢タッグは、いつか観たい。