ここ数年、彼女にはつらい出来事が重なって起こっていた。そのどれもが、覚せい剤への逃避を招くものだった可能性はある。まずは仕事面から振り返ってみよう。
2000年、デビュー時から彼女を支えてきた溝口伸郎マネージャーが自殺した。02年には溝口氏と一緒にマネージャーを務めてきたK氏が酒井の担当から外れて、退社している。K氏は酒井の運転手として公私にわたりフォローし、「唯一仕事の愚痴をこぼしていた人物」(サンミュージックの元関係者)だった。
「酒井にとっては大変なショックですよ。本当に信頼していた2人を一気になくしたわけですから。溝口さんの後に付いた担当マネはN女史なのですが、彼女と酒井はあまり打ち解けられませんでした」(同)
側近を次々に失った酒井は、事務所内で孤立。次第に「事務所から裏切られた」との屈折した思いを強めた酒井は、極端に仕事を選ぶようになる。そして不幸は、まだ続く。今度はプライベートに悲劇が襲ったのだ。
南青山の静寂な場所に位置する酒井の高級マンション。彼女は中層階の1戸を約1億円で購入したが、実は同マンションの最上階は浜崎あゆみが「衣装ルーム」として使用している。
「浜崎は六本木を拠点に生活をしており、南青山の4億円相当ともいわれる最上階は物置状態なのです」(スポーツ紙デスク)。酒井にとって、このマンションを巡る「浜崎との格差」がこたえたようだ。
「浜崎は元々『サンミュージック』からのデビューで、酒井の後輩。しかも、酒井同様、相澤(秀禎)相談役の自宅に1年下宿した、同志のような関係なのです。それなのに、事務所を移った浜崎は歌手デビューを果たすや酒井を追い抜き“歌姫”扱い。しかも先輩・酒井は中層階で居住、後輩・浜崎は最上階で物置…複雑な気持ちだと思いますよ」(前出・元関係者)
さらに厳しい現実は続く。森高千里&江口洋介夫婦と家族ぐるみの交際をしていた酒井だが、両夫婦の子供がともに受験した青山学院初等部の入試で明暗が分かれたのだ。森高の長女は合格、酒井の長男は不合格だった。“ママ友”であったはずの森高家とはこれを機に没交渉になってしまった。
「女性週刊誌に長男の受験当日、酒井が寝坊して試験を受けられなかった、と報じられましたが、これは事務所が編集部に頭を下げて書いてもらった“ねつ造”とも言われています。酒井のプライドを傷つけないように、というわけです」(前出・スポーツ紙デスク)
そしてとどめが“親友”工藤静香との関係だ。
今月3日、取材に応じた工藤は、「(酒井被告と)最後に会ったのは4年前」と言い切っている。つまり、酒井は工藤とも交流を絶っていたことになるのだ。
「酒井は長男が青学に落ちた後、インターナショナルスクールに興味をもったのです。ところが、入学金や月謝が高すぎて酒井の収入ではカバーできない。一方、木村拓哉&工藤静香夫婦が2人の子供をいとも簡単に入学させてしまった。彼女は相当、落ち込んだようです」(前出・元関係者)
事務所への屈折した不信感と、友人たちへ芽生えた、これも屈折した人間不信。しかし、前出・元関係者は「そもそもの転落人生の始まりは97年、脚本家の野島伸司氏との別れ。翌年高相被告と結婚したときすでに、酒井の心はボロボロだった」と指摘する。
また、女性誌デスクは「当時のサーファー仲間を取材すると、『結婚直後から様子がおかしかった』という声も少なからず出てきます。また結婚後、酒井と不倫関係にあったとされる大物芸能人は、『法子にシャブをすすめられた』と仲間内でもらしていたそうです。おそらく2000年かその翌年から、酒井は覚せい剤を使用していたとみています」と話す。
彼女の変節は何に起因するのか。房の中でいま、ひとり自問しているのかもしれない。