歌って踊れて笑いも取れるアイドルをめざして、19歳のとき、ジャニーズ事務所に履歴書を送付している。当然、自薦だ。しかし、ジャニー喜多川社長から電話がかかってきて、「YOU、来ちゃいなよ」と誘われるなんてことは毛頭なく、エキストラでバラエティ番組に参加、求人広告の飛び込み営業、楽天の営業などで遠回りをして、芸人の世界に飛び込んだ。
元来、大のジャニーズ好き。芸人になってからは、後輩を率いて“堂本剛軍団”、タッキー&翼のパロディ“オタッキー&司”などで、ものまね番組にたびたび出演。大好きなのは嵐・二宮和也で、かつてはファンクラブに入会していた。
そんな斎藤と同じく、10代のころはカッコよかったと自称するのは、アンジャッシュ・児嶋一哉。たしかに、若手時代は相方の渡部建とそろって“イケメン芸人枠”にいたため、容姿には少し自信があった。ジャニーズには、2回も履歴書を送っている。まだ合否の通知が届いていないため、「もしかしたら受かっているかも…」と希望を捨てていない。
ピーク時に比べると、テレビ出演がグンと減った長州小力は中学生時代、超モテモテ。わずか2日間で10通のラブレターをもらったことがある。同じく、みずからジャニーズに履歴書を送っているが、先方からのリアクションはなしだった。
対して、この世代の女性芸人に人気があったのは、モーニング娘。率いるハロー!プロジェクト系だ。最近はドラマ『ウチの夫は仕事ができない』(日本テレビ系)で、女優としても開眼中のイモトアヤコは13歳のとき、モー娘。の第3期メンバーオーディションを受けている。しかし、書類審査であえなく落選。それを機にアイドルの道をあきらめ、番組ADという裏方に回った。
AD時代、第4期メンバーで、すでにモー娘。を卒業して、加護亜依とW(ダブルユー)で活躍していた辻希美と仕事をした。辻の食べ物を探し回るなどの雑用を命じられたときは、アイドルとADの差に愕然としたという。ちなみに、イモトが落とされた年の合格者は、後藤真希だった。
分不相応にも、大胆な行動に出たのは北陽・虻川美穂子だ。彼女は、第2のモー娘。を発掘するためのオーディションで、妹グループ『太陽とシスコムーン』が結成されるときの選抜オーディションに応募している。だが、やはり書類で落とされている。
そもそも虻川は、相方の伊藤さおりと同じくアイドル志望。“スカウトのメッカ”東京・原宿の竹下通りに2人で行って、芸能事務所からのスカウトを待ったことがある。しかし、お声はまったくかからず。潔くあきらめて、芸の道に進んだ。
アラフォーの中堅芸人たちが1度は憧れるアイドルの世界。男性はジャニーズ、女性はモー娘。が、当時のトレンドだったようで…。